19/01/11 13:13:52.64 20nwZZ9p0.net
60神も仏も名無しさん2019/01/11(金) 12:58:43.67ID:8CEIU1nF
パウロが信仰者としては最高峰の人物だと思うようになった。信仰心が篤い人物なら
バプテスマのヨハネやステパノあるいはコルベ神父など多くいるが、パウロほど内面から
キリストの香りに満ち溢れた人物はそういないと思う。
彼は自身をダマスコの回心によって「ただ恵みによって救われた」と絶えず認識し、謙り、
自身については弱さ以外に誇るものがないと言った。しかし、弱者を救うためなら喜んで
弱者になり、ユダヤ人を救うためならある意味において律法の奴隷になり、ギリシャ人を
救うためなら哲学をぶつようになり、異邦人を救うためなら無知な異邦人のようになると。
パウロは「律法において信徒がつまずくなら、偶像に捧げられた肉を食べても良心の呵責はないが、
一生肉を食べなくても良い」とまで言った。
これは、パウロがいかにキリストによる自由な存在であるのか、がよくわかる言動であろう。
またパウロは「キリストゆえに、ある意味において一切を損だと思う」とまで言っている。
この地上においては、受けるよりも与えるほうが幸いであると聖書は言う。多くの者は
宝くじで高額当選したいと年齢を問わず夢を見て宝くじ売り場に並ぶ。しかしこの神の法則を
知っているのであれば考え方は一変するはずで、むしろ「足るを知る」ようになる。
そして「偏った富を積む」ことを恐れるようになる。
これは262の法則とも一致する。すなわち会社は2割の優秀な社員と、6割の普通の社員と、
残り2割の怠け者の社員とによって構築され運営されている、というものであるが、
面白いのは2割の怠け者の社員を排除すれば、2割の優秀な社員か、
あるいは5割の普通の社員の中から怠け者の社員が出てきて、
結局また元の262の法則になってしまう、という点である。