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私のしたことは当時、世間で大々的に報じられました。今、あらためて事件について触れれば、被害者の方にとっては忌まわしい
記憶を呼び起こされる形となり、再び辛いお気持ちにさせてしまうことになるかもしれません。出所後は一切表に出ず、残りの人生を
社会の片隅でひっそり送っていく覚悟でいました。
ですが、一方で犯した罪への償いは、単に刑期を終えただけでは不十分なのではないか。そうも考え、なぜあんな卑劣な行為に
及んだのかをお話しすることで、ご迷惑をかけた世間からの「問い」に少しでもお答えできればと思い、今回、取材に応じることにしました。
印刷工場から炊事場へ
03年6月に逮捕されてから、私はまず警視庁品川署に留置され、起訴された後は東京拘置所に移されました。公判中はずっと独居房で、
外界との接点が新聞とラジオしかなく、初めは精神的重圧で押しつぶされそうになりました。仲間は口を揃えて「和田に言われて仕方なくやった」
と供述し、当時は裏切られたと感じたものですが、今では“自分が彼らの立場だったらそう言うだろうな”と思えるまでになりました。
そのうちラジオのニュースで共犯の判決を知ることとなり「きっと自分はこれより重いのだな」と、14年の想定はできていました。
おかしな話ですが、刑が確定すると、かえって重圧から解放されたような感じがしたものです。
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