18/08/29 22:37:07.46 mII1IsZO0NIKU.net
己の(内なる)地母神を無意識に投影(あるいは同一視)していた相手(母親的存在)からひどい
虐待を受けてしまえばその傷(トラウマは)自らの地母神を正しく認識(自覚)することを妨げてしまい、
己の地母神(己の真に望む生き方=真の幸せを支援・誘導する魂の環境インフラ)を封印・抑圧した状態
においてしまう。自分の地母神機能を(毒母に投影・同一視させられ人質に取られて)統合できなくなってしまう。
それが自分の命が生まれながらに持つ機能だといつまでも気付けなくなってしまう。
それどころか、「自分は愛されない存在=自分は尊さのない無価値な者・幸せになれない者か」という強迫
観念に苛まれる。その強迫的な不安から逃れるために毒母の寵愛を求めて「イエスマム!」と盲目的に服従する。
男性性に偏った現代社会の正体は、その実「毒母を模した社会」なのだとすれば、「社会(他者)からの評価=外部評価」
への依存ってのはさしずめ「毒母からの寵愛依存」。ニートにありがちな「社会(他者)が怖い」は「毒母が怖い」
という心理と照応しているのかも。あるいは、社会への恨みは毒母への恨み。
(母性を連想させない10代かそれ以下の少女がアニマとして持て囃される背景も同じ?)
毒母から愛されたい心理と、それゆえに毒母から愛してもらえなくなる(自分を否定される)恐怖。
両者の心理を抱え盲目的服従(寵愛を得る努力)に疲れた結果、「自分を愛さない毒母(自分を評価しない社会)
を見たくなくて自ら距離を置きたい心理」になるとニートになりやすい?