被差別部落にまつわる怖い話 25at OCCULT
被差別部落にまつわる怖い話 25 - 暇つぶし2ch349:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/
17/06/21 17:56:06.68 3xurfE9d0.net
重要なことは、部落の貧困化は差別問題とはまったく別のところからやってきたことにある。それが、松方デフレ政策にほかならない。
1877年(明治10)に勃発した西南戦争で、明治政府は最強のプロ戦闘集団である薩摩武士を相手に多額の軍費を使い、
不換紙幣を乱発したために、悪性のインフレに見舞われた。
その解決のために、松方正義大蔵卿が急激な紙幣整理というハードランディング方式をとったために、
一挙にデフレになり、部落の製造業が壊滅的打撃を受けたのである。
決して、部落が狙い撃ちされて被害をこうむったわけではなく、また差別されて貧乏になったわけでもない。
自由民権運動への期待が喪失する一方で、松方デフレ後の被差別部落の困窮は深刻なものとなり、
それまでの部落内での相互扶助による支え合いで乗り切ることが不可能な状態になってくる。
松方デフレとは、当時の大蔵卿松方正義による重税策で、大きな社会変動をひき起こしました。
土地を奪われた農民の多くは小作人となりましたが、なかには都会へ出て、スラムに住みつく人々も少なくありませんでした。
部落の商店や工場も、多くがこの時期に倒産しています。生活基盤がひじょうに弱い部落にとって松方デフレの影響は深刻でした。
この1880年代から、部落は、経済的にも社会的にも「貧困」という新たな差別の実態を背負うことになるのです。
松方デフレによって困窮した農民は農村を離れて都市へ出てゆき、
東京・大阪・横浜などの都市では、被差別部落を核としてスラム街が作られるようになる。
しかし、都市下層民は経済的貧困から抜け出せれば差別から逃れることは可能であるが、
被差別部落民は「元えた」という「生まれ」によって決定されている要素もあるので差別から逃れるのは困難であった。


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