17/04/17 23:53:55.65 gyIzHgfq0.net
他の人より下に座す行のことを「下座行」と言います
人は誰でも他の人より上に行きたいと願って、学びも努力もします。
今の世で出世したいと思っても何の不思議もないのです。
かえって怠けて遊んでいれば、そうした人達の様な良い環境や暮らしに恵まれることもありません。
逆に劣悪の環境に置かれてしまうのです。
イエスが言った【幸いなるかな貧乏人】などはどこにもないのです。
逆に貧しさ故に犯罪者と成るのが現実なのです。
貧しい国ほど殺人や強盗や泥棒が出るのです。
神が言われる【下座行】とは自分が貧乏人に成ることではないのです。
この「下座行」とは、自分は偉い者だとか優れた者だと思わずに、世の中からいくら低い者と思われていても、それに何等不平不満を言わずにやり抜くことです。
そこに出て来るのは他人に対する優しさと感謝と謙虚さなのです。
ただ人によっては、「下座行」の意味を力の強い者(長い物)には逆らわず巻かれて、下に居ることだと思われる方達もあろうかと思います。
そうした意味でもないのです。
自分より能力が劣った者達が自分より上に座っていても、それに耐えるといことなのです。
地位などは気にしないなのです。
あんな程度の奴が自分より上かと思えば腹も立ちますし、怒りも起きて来るでしょう。
みろくの世が開けたならば、ひっくり返るからそれまでは我慢ですよと言うことなのです。
それは私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声から、下座でも違う意味が告げられたからです。
それは【私はそなたを社会の底辺に置く。そなたは社会の底辺で「人の心の在り方」について学びなさ】と告げられたことです。
単に人の下座に座るではなくて、【社会の底辺に自分の身を置いて、他人から人の心の在り方を学ぶ】なのです。
この「人の心の在り方」は社会の上に立っていると学べないのです。