17/02/21 07:03:58.06 ME0hf1k10.net
詩経に「錦の衣を着てその上から薄物をかける」とあるのは、
錦のもようがきらびやかに外に出るのを嫌ったものである。錦は薄ものをすかしてこそ美しい。
そこで、君子のふみ行う道は人目をひかないで、それでいて日に日にその真価があらわれてくるものだが、
つまらない小人(しょうじん)の道ははっきりして人目をひきながら、それでいて日に日に消え失せてしまう。
君子のふみ行う道は、あっさりと淡白でありながらいつまでも人をひきつけ、簡素でありながら彩があり、
おだやかでありながら条理がたっている。
遠いところのことも近くから起こることをわきまえ、一般の文化や生活にもその根本の原因があるとわきまえ、
微かなことほどかえって明らかになると知って、何事も身近な地味なことから始めれば、進んで徳の世界に入ることができるのだ。
詩経には、「深くもぐって隠れていても、やはりはっきりとあらわれる」とうたわれている。
だから、君子は外を飾るよりも内心を修め内に省みてやましいところを持たず、心に恥じることもない。
凡人には及びもつかない君子の長所は、他でもない、他人にはうかがえないところ、その内心の境地にこそあるのだろう。
詩経には、「お前が居間にいるのを見るのに、どうか部屋の隅の神の御坐所に恥じないようにしてほしい」とうたわれている。
だから、そうした君子は内心の徳が充実しているので、行動を起こすまでもなく人から尊敬され、
言葉をだすまでもなく人から信用されるのである。
(中庸)