16/04/22 22:57:20.53 7YIiwXpj0.net
ひもじい環境を前提にした経済システムでは飢えの恐怖を原動力にしてしまう
のも無理はない。生き残るために争い共食いをするのも無理はない。
ひもじくなったことに気が付かない・生産力に気づかず生かせず飢えを改善
することができない。そこに目を付けた一部の者が、(誰も存在に気づかなかった)
豊かさ(生産力)を独占し人質にとって人々を飢えの恐怖で縛り付け支配した
結果、人々はぶら下がったニンジンを買うために働き続ける馬車馬にされてしまった。
その馬車馬達も、ニンジンを求めぬロボットが大量生産されれば用済みだ。
人間が己の中に秘められた生産力(これも地母神)に気が付けば、
「生産のために消費を強いられる」こともなくなる。消費のための
適度な生産だけで十分に行き渡るから環境への負荷も減る。
生産力さえ人質から解放されれば、地母神は蘇るかもしれない。
必要な量を生産すればいいのだから独占することも奪い合うこともない。
ただし、生産力、生産ライン、流通ラインを誰にも独占させたり人質に
させないようにしなくてはならない。人々(主権者)達の精神性がそこまで
成熟できているかどうかがポイントだ。飢えの恐怖をそのまま転用・変換
した欲望に取りつかれている(まだ飢えの恐怖に取りつかれている)うちは無理。