16/04/21 13:18:08.10 k8YjmKN00.net
領土問題をめぐる議論のウソ(3) 2島返還で妥結寸前だったというウソ
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>鳩山には外務省顧問の谷正之が事後報告に訪れ、情報を持たない鳩山は
>同意するしかなかったという。
谷正之
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>谷 正之(たに まさゆき 1889年2月9日 - 1962年10月16日)は、昭和の外交官、外務大臣。
>来歴
>熊本県上益城郡飯野村(現・益城町)出身[1]。熊本中学、第五高等学校、東京帝国大学法科政治学科卒業。
>1913年(大正2年) 外務省に入る。アジア局長、満州国大使館参事官。オーストリア兼ハンガリー公使を歴任。
> 1939年(昭和14年) 外務次官
>1942年(昭和17年) 東条内閣の外務大臣就任。情報局総裁。
>1943年(昭和18年) 中国大使(終戦時まで)
>A級戦犯被指定者となるが、不起訴となる。
>1956年(昭和31年) 駐アメリカ大使
>栄典
>1920年(大正9年)9月7日 - 勲五等双光旭日章[2]
>エピソード
>戦後の外務省内において太田三郎・加瀬俊一と共に重光葵の腹心として活躍、
>「重光三羽烏」と称された。重光が副総理・外相を務めた時代には駐米大使に就任した。