16/06/05 14:45:06.60 mQtrhJpn0.net
アルバート・ゴア・シニア wiki
政界を引退した後、ゴアはユダヤの政商アーマンド・ハマーの経営する石油採掘会社、
オクシデンタルの顧問弁護士となった。
その後、同社の副社長に就任し、取締役会入りした。また地元テネシー州のヴァンダービルト大学で法学を教えた。
●
((
/⌒\ ビル・クリントン大統領時代の副大統領
( ,) アル・ゴアですが、父親の名前はアルバート・ゴア・シニア
| | オクシデンタル・ペトロリウムの副社長ですね。
| | このオクシデンタル・ペトロリウムはリビアに油田を持っていたのですが革命で
| | カダフィ大佐に油田を没収されてしまいます。
(, ・∀・) < そこでオキシデンタルはウランを日本の原子力発電所に
/~ ヽy/~\ || 売りつけることになったのです。
/ )=∞ =/__フっ 二酸化炭素による地球温暖化とか、ユダヤ金融悪魔達の嘘だったんですね。
~(___Y__)┳┳ 311でウラン販売が低迷すると即座にカダフィを抹殺して油田を取り返そうとしましたが
⊂ニニニニニ⊃ これはうまくいっていないようです。
オクシデンタル・ペトロリウム wiki
初は化学製品の処理などを行っていたが、第二次世界大戦後にアーマンド・ハマーが経営権を握ると、
当時すでに世界有数の産油量を誇っていたイランや、イドリース1世国王の下で積極的に油田開発を進めていた
リビアとの石油開発・取引や、北海油田の開発などにも手を伸ばし、莫大な資産を得て、
いわゆる「セブン・シスターズ」に次ぐ規模にまで拡大した。
しかしその後、1969年9月にイスラム社会主義革命を起こしたリビアのカダフィ大佐が
リビア以外に有力油田を持たなかったオクシデンタルと交渉してこれは史上初の産油国側からの原油価格改定となるも
リビアとアメリカは断交し、アメリカは経済制裁を発動し、渡航禁止措置を行ったことで、リビアにあった同社の資産はすべて接収・国有化され大打撃を受けて
北海油田地を中心とした収益モデルへと移行を進めた。