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恐らく、ヒッタイト帝国滅亡後、ヒッタイト人の一派がスキタイ人となり、東ヨーロッパから北アジアに進出し、先住
民と混血を重ねていったのだろう。
更に、タタール人の源泉がヒッタイト人であるならば、日本列島にも渡来した可能性は十分ある。
何故なら、国常立尊がトルコのエルズルムから日本列島に移動したことを、王仁三郎が伝えているからである。
オックスフォード大学の考古学・セイヌ博士は、「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。
また、日本書紀に登場する「天忍穂耳命(アメノオシホミミ)」は、古事記では「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」
表記されているが、「勝勝(カチカチ)」はヒッタイトを意味するという説もある。
更に、秋田県の大湯ストーンサークルで出土した土器が、ヒッタイトで発掘された土器と酷似しており、ヒッタイト
人が古代日本に渡来したことを証明していると言っても過言ではない。
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※OLの当時の上司が勝俣氏で事件後、とんとん拍子に出世して会長に。