16/01/25 16:33:08.50 iOaDKwpz0.net
現代人が自分達の知性運用(文明基盤)が動物レベルの視点(知性が無かった
頃の生き方を前提にしている視点)にとどまっていると自覚できる以上は進化の
伸びしろはちゃんと残されてると個人的には思う。
人間はみな一人一人、種族そのものが持つ無数の個性的側面やそれが無しうる
可能性を担っている。一人の成長と進化は種族のある側面が成長・進化
したことと同義であり、種族レベルでもめでたいことかも。
少数の個体では種族の持つ広大な個性や可能性をとても伸ばしきれないからこそ
大人数が生まれ分担し合ってるわけだから、特定の少数を繁栄させるために
他の大多数の可能性を封じるような従来の弱肉強食手法では種族が自らの個性と
可能性を拡大・充実するために自己の端末(個体)を増やした意味が全くない。
「個体それぞれが秘めている唯一無二なる種族の可能性を効率よく拡充させること」
現代文明が志向している「効率化」という知性の使い方は本来そっちの
目的で使った方がいいんじゃないかと思う。
弱肉強食という非効率的な掟の中で繁栄が許される限られた「特定の少数」
になるために効率化を追求すること自体が、種族の視点から見ると非常に
効率が悪い。
「種族の可能性をいかに効率的に拡充するか」という視点で見た時、大多数
の個体を蹴落としてしまう(しかも意識を動物の個体レベルにしてしまう)
従来の弱肉強食手法は障害にしかなってないかも。
これはいわば、産業の発展のために競争原理を取り入れたら産業発展(目的)
そっちのけで生存競争(手段)が目的化してしまった挙句、共食いのような
競争激化でほとんどの企業が生き残らず産業も衰退していくパターンに照応
しているかも。