16/01/19 21:22:44.38 z5Z7IwO90.net
よく言われることですが、たとえば、
仏像やらの偶像は、神・仏そのものではありません。
この仏像やら神像を通して、神なるものに意識を向け、
意識を高くすることができたときにはじめて神なる意識につながります
仏像に執着しても意味がありません
これは、実は理論や言葉にも同じことが言えるかと
理論や言葉ってのは、しょせんは、神なる意識、
高次元の意識、見えない世界の波長の精妙な部分、
そのイメージを、言葉や理屈として、一部分を抉り出して
形にしているだけ
この言葉・理論に囚われすぎて、肝心のハイアーセルフの部分、
神なる部分に意識をつなげることを忘れてしまっては、
意味がありません
やっぱり文章で書くと意味がわかりづらいのでこのヘンでやめます