15/11/09 01:19:18.68 BoY4+XL30.net
才能を必要とする、とは教える人がいない場合のことだろうと思われる。
先の武技だって不学で獲得体現できたなら間違いなく天才だろう。
1‐2を聞いて10を知る人さえ稀なので、混乱が生じるのはよくある話、禅は魔道とは
そんなところに由来するのかもしれない。修験道の断食行がちゃんとした師匠につかないと
危ないのと同じかも。
ひとつ、
武技において“顔の向き”は結構大事。
相手の技を封じる時、肘や膝で相手の顔をブニッと明後日の方向に向けてから技を施すし、
逆に自分が仕掛ける時はまず、投げなら投げる方向に予め顔を向けて迷わず一気に技を施す。
崩しやズラし、重心の方向とかは他の触感から得ている。「技は顔で掛ける」とは言い過ぎかW
まあ、コツのようなものだが
要するにベクトルをどの方向に向けるかということだから
複数の中で迷うときは光を目指せ、ってな具合じゃないかと。
「極の拮抗」の中に在る時は極度の緊張と集中の最中にある。
思えば、「死中に活を見出だす」という言葉も、生死の間で極の拮抗が起きてる事を示しているかと。
アドレナリンやドーパミンなどの脳内麻薬なら確かに出まくりかもしれんW
より困難なことへの挑戦は、それだけでも普通に称賛されて然るべきで、「夕べに死すとも可なり」でしょうよ。