15/11/09 12:37:59.05 Q1hv3qb6O.net
>>189
もしかしたら、大物主命と事代主命との間に饒速日尊様が入るのかもしれません。
その場合、饒速日尊は三輪山の“準地主神”といった位置付けになりますかね。
私は、崇神天皇の「東征」前にすでに、「久米と播磨の深い結びつき」によって誕生した氏族の内の一派が、いわば先遣隊というか、いわば(播磨からの)離脱組というかして大和に移っていたのではないか、という可能性を考えています。
それが饒速日尊系統の氏族なのではないかと。
饒速日尊はちょっと波長が違います (ウル様の)ご次男の系統ではないでしょうか
とのお見立てがどうしても気になるのです。
大己貴命にしろ、その御子息の事代主命にしろ、アジスキタカヒコネ様にしろ、これまでの考察対象は皆、御長男(=素戔嗚尊)の系統オンリーでしたからね。
ここのところに、饒速日尊をなんだか苦手対象というか、禁忌というか、そんなものとして感じてしまう由縁があるような気がします。