18/04/19 08:59:29.23 o/vAgsMx0.net
>>484 つづき
京都府では、「事の意外さに驚くとともに、痲薬採取の目的など、まったくない
ことを強調し、京大薬学科刈米、木村両博士の鑑定書を添付するなどの措置を講じた」が、
占領軍は聞く耳を持たず、「栽培を禁止し、趣旨を含めて本植物を絶滅せよ」との指令が発せられた。
この報告を受けた農林省は、「昭和21年11月農政局長名をもって、終戦連絡事務局
経済部長あてタイマ栽培許可を要望するとともに、連合軍総司令部公衆衛生福祉局、
天然資源局に折衝を重ねた。この結果、昭和22年2月、連合軍総司令官より日本政府
に対し『繊維の採取を目的とするタイマの栽培に関する件』なる覚書が出され、一定の
制約条件のもとにタイマの栽培が許可された」。
その条件とは、栽培面積を「全国で5,000ha」に、栽培許可県を「青森、岩手、福島、
栃木、新潟、長野、島根、広島、熊本、大分、宮崎の12(原文のまま)県」に限ること
であった。かうして、昭和22年4月23日「大麻取締規則」が制定され、さらに昭和23年
7月10日に「大麻取締法」が制定された。
【出典】大麻取締法の設立経緯 URLリンク(asafuku.net)
前述のように、『大麻は、何の規制も受けず全国どこでも普通に生産』されていたので、
厚労省は詳細な栽培者人数、栽培面積を把握していない。
図表は、大麻取締法が制定された昭和23年(1948年)から始まっている。
大麻栽培者人数、栽培面積をGHQに報告する義務があった為の統計データである。
大麻取締法が制定された前年の昭和22年に、昭和天皇が当時の栃木県国府村に行幸した。
我が国の大麻栽培の行く末を案じ、この地の人々を励ますため行幸であった。
誰でも普通に栽培していたので統計がない所から、免許制で統計を取り始めた事、
昭和天皇の行幸などもあり、統計上は1955年に掛けて大麻栽培面積、人員は激増している。
(つづき)