23/12/12 07:21:22.43 oV02YKGs0.net
音楽批評家のおじさんにケチつけられてて草
時代は変わっていってるのに受け入れられないんだろうね、こういう人って
Adoの歌唱力に「うますぎる」相次ぐ絶賛の声も…最近の日本のヒット曲が“脆い”と感じる理由
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
■曲が「ボーカルの踏み台」になっている
ところが、本来、曲>歌であるべき主従関係が、Adoにおいては逆転してしまう。つまり、曲がボーカルの踏み台になっているわけです。
数あるAdoの技を細切れにしてパッケージングした構成は、テーマパークのアトラクションを思わせます。
ただし、それが刹那的に酩酊感を味わわせるスペクタクルではあっても、総体として、ひとつのまとまりとしての曲と言えるのか。
Adoの歌唱にばかり驚く感想は、その問題点を指摘していると言えるのです。
■まるで難しいゲームを攻略しているよう…
King Gnuにも同じことを感じました。どこの国のヒットチャートを見渡しても、彼らほど複雑なことをやっているミュージシャンはいません。
なのですが、彼らも行っていることの難しさがどんな人にもすぐに伝わってしまう。複雑さが消化されないまま、
作品の表面に残ってしまっているイメージなのですね。
だから、歌や演奏が、難しいゲームを攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、
曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。スティーリー・ダンのように、あたかも自然に聞こえるのなら問題ないのですが、
King Gnuにおいては曲全体のまとまりではなく、局所的なとんがりがフックになっている。そこにAdoに通じる問題があるのですね。
彼らに限らず、日本のヒット曲は狭い範囲でのテクニックや高難度の音楽的な仕掛けがインフレを起こしている。
とても内向きになっているのではないかと心配する理由です。
■日本の昨今のヒット曲が“脆い”理由
こういうことを言うと、“難しいことができるのは実力がある証拠じゃないか”と言われるかもしれませんが、
優れたミュージシャンは難しいことをしているようには見せません。欧米のヒット曲ならば、テイラー・スウィフト、
ジャスティン・ビーバー、エド・シーラン、ポスト・マローン。みんな簡単です。少し練習すれば誰もが一応は真似できます。その意味では全然スゴくありません。
それでも彼らがスターであるのは、手先の器用さや識字的かつ計算的な勉強ではなく、音楽に全人格を込めているからです。
だから、曲自体はとことんシンプルでかまわないのです。誰にも真似できないエッセンスがあるので、その音楽は開かれている。
残念ながら、AdoやKing Gnuの音楽には、開かれた感覚を感じませんでした。確かにその技芸は鋭い。長年の研鑽のたまものではある。
しかしながら、その種の“秘技”は一代限りで途絶えてしまうものなのではないか?
必要以上の難度、複雑さの裏側には、ナイーブな生真面目さがあると思うのです。昨今のヒット曲が脆いと感じる大きな理由でもあります。
文/石黒隆之