15/12/10 19:12:09.31 EArNjGJE.net
世の中の価値観の抜本的改革を目指した尾崎豊は、その役回りを志半ばで終えてしまった。
僕のクラスにもファンがいたし、彼がバスのなかに忘れた当時ならアナログのレコードを彼の家に届けたこともあった。
彼にとっては何物にも代えがたい大切な存在だったに違いないのだ。
尊敬とは、純真なあこがれから生まれるはずのものだからだ。
尾崎が事件に巻き込まれて逮捕されたときに、彼がどれだけ落ち込んだかは、うちの学校では有名な逸話だ。
尾崎が亡くなった時は、いかばかりか、その元クラスメイトとは面識はすでになくなっていたが、彼の心中を察した。
僕は彼のファンではないのだが、
実際、尾崎豊が音楽を通じてフェアに誠実に世の中を書き換えて行ってくれるなら、
それは音楽的な本望の一つだと思えていたことは、正直に書いておく。
26という若さで夭逝してしまった尾崎豊の幻影を追うかのような後進の世代について、
彼は反抗のための反抗ではなく、反抗さえも飛び抜けて、ある一瞬の価値観にとどまらない、
普遍的な事実、つまり、「人はよりやさしくなれるのではないだろうか」、
「もしかすると互いを大切にできるのではないだろうか」、という永久なる一念を実現するために、現れたであろうことを、
僕なりの所感として書き留めておきたい。
もしあなたが40になったら、どんな大人でいたいか。
ロールモデル(あなたと似たような考え方)のモデルケースになる人は、
もしかしてすでに40を過ぎているはずの、尾崎豊の背中ではなかったろうか。
その背中と抱き合わせで生きてきた世代の、遠巻きに見ていたひとりとしての、雑感をここに記します。