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「がしんしょうたん」「臥薪嘗胆」の意味!!「苦しさにたえて必ず勝つ!」
時は紀元前6世紀の中国、春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)。
呉王・闔閭(こうりょ)は
越(えつ)との戦争で重傷(じゅうしょう)を負(お)い、その後、
死亡します。臨終(りんじゅう)の間際(まぎわ)、
息子(むすこ)の夫差(ふさ)に「必ず越(えつ)に復讐(ふくしゅう)せよ」と
言い残しました。父の無念(むねん)を晴(は)らすため、
夫差(ふさ)は誓(ちか)いを立(た)て、
毎晩(まいばん)薪(たきぎ)の上に「ふとん」をしいて寝(ね)て、
痛(いた)みを通(とお)して恨(うら)みを
忘(わす)れないようにしました。これが「臥薪」(がしん)の部分です。
やがて夫差(ふさ)は軍備(ぐんび)を整(ととの)え、
「越(えつ)の王」・勾践(コーセン)を打ち破(やぶ)ります。
敗(やぶ)れた勾践(コーセン)は命乞(いのちご)いをして呉(ゴ)に
降伏(こうふく)し、下僕(げぼく)のような扱(あつか)いを
受(う)けながら耐(た)え抜(ぬ)きました。その後、
赦(ゆる)されて越(エツ)に戻(もど)ることができましたが、
彼の心の中には復讐(ふくしゅう)の炎が消えることはありませんでした。
勾践(コーセン)は、天井(てんじょう)からつるした「苦い「胆(きも)」」をなめて、
自(みずか)らの屈辱(くつじょく)を思い出し、
再起(さいき)を誓(ちか)いました。これが「嘗胆」(しょうたん)の由来です。
勾践(コーセン)は国力(こくりょく)の立て直(なお)しに尽力(じんりょく)し、
まずしさに耐(た)え民(たみ)とともに努力(どりょく)を重(かさ)ねていきます。
一方の呉(ゴ)は勝利に慢心(まんしん)し、次第に衰(おとろ)えていきました。
そして20年後、ついに勾践(コーセン)は呉(ゴ)を攻め滅(ほろぼ)ぼし、
夫差(フサ)は自害(じがい)することになります。 「高校の漢文より」