16/03/06 19:38:17.10 56YvE/W0.net
信心していれば何の問題もなく一生安穏として暮らせるわけではありません。
学会員だって離婚もします。
一家和楽を祈っているわけですから、できれば離婚などせずに一生家族が仲良く暮らせるのが理想です。
しかし、人間対人間ですから、何がきっかけでどうなるかなんてわかりません。
離婚が原因で信心がおかしくなってしまうのでは困りますが、そこをまた信心で乗り越えていれば、その人の人生は勝利したと言えるのではないですか?
なんで信心しているのにこんな目に…と思って退転してしまうのか、それとも厳しい現実を見つめながらも前を向いて歩いていくのか。
そこで信心が試されるのだと思います
良い事があれば
「功徳だ」 「守られた」
悪い事があれば
「絶対意味がある」 「この事で自分に信心を教えてくれたんだ」
もはや決まり文句のようですが、それでいいのだと思います。
どんな出来事にも意味を持たせていく、”価値創造”がこの創価学会の信仰です。
大切なご家族を亡くした方に軽々しく「意味があるんですよ」なんて言えませんが、最終的に本人がそう思える事が大事だと思います。
確かに何も考えずに
「意味がある。御本尊がなんとかしてくれる」
なんて言っていたらそれは現実逃避です。
絶対に何とかするという強い決意と自行化他の実践があって初めて乗り越えられる事です