15/07/21 06:15:38.83 NVjWq9tw.net
>>76
なるほど。搾取の実情を知っているし幸福は僅かだが、それに満足できると。
自身のQOLの評価は人それぞれだから、それは良いことだね。
分かってると思うけど一応指摘すると、あなたの感覚と他者の感覚は
必ずしも一致しないよ。他者にはあなたの子供も含めてね。
無については難しいんだ。
例えば、無思考は無ではない。無言も無ではない。
思考や発言、それらをしないという選択をしても、その主体は「有」ってしまうからね。
ぶっちゃけ無に憧れるなら死ぬしかないんだが、それが難しいのが悩みだな。
思考を楽しむことについて。
確かに思考は快楽行為たり得る。
これは食事をしたり、仕事をしたり、人助けをするといった他の快楽行為と同列の、
生きる人がするべくして行っている行為の一つだ。
しかしその快楽は、人生において被る苦痛量から見て割りに合わないと俺たちは思っている。
あるいは快楽行為を言い換えるなら、しなければ苦痛が発生する行為、ともなる。
思考も食事も「本当はしたくなかった」のに、生まれさせられたばかりにそれを強いられている、とね。
だから快楽行為を行うことは、生きることを肯定している根拠にはならないよ。