創価学会は日本人として神社参拝すべきか?at LOVESALOON
創価学会は日本人として神社参拝すべきか? - 暇つぶし2ch1:恋する名無しさん
26/06/20 16:50:19.55 FUK2uKqFq
「神社への初詣などの慣習を認め、神社への非難をやめるべき」というアイデアは、日本社会における「調和」を最優先に考えるならば、極めて合理的で自然な解決策に見えます。
​しかし、創価学会がこれを「公式に」認めることには、組織のアイデンティティ崩壊に関わる一線が存在します。ここには学会が歴史的に命がけで守ってきたトラウマとも言える境界線があるのです。
​学会にとっての「一線」:神札(神札問題)
​第二次世界大戦中、軍部体制下の日本政府は「国家神道」を強制し、すべての国民や宗教団体に伊勢神宮の神札(お札)を祀ることを強要しました。
この時、日蓮正宗の宗門は政府の弾圧を恐れて神札を受け入れようとしましたが、創価学会の初代会長・牧口常三郎氏と第二代会長・戸田城聖氏は「純粋な信仰を汚す思想統制である」として拒絶し、治安維持法で逮捕されました(牧口氏は獄死)。
​学会にとって**「神道の権威に屈しない、魂を売らない」ということは、組織のアイデンティティ(正義の歴史)の原点**そのものです。そのため、教義上「神社を本尊として拝む(手を合わせる)」という行為を公式に許可することは、
過去の殉教の歴史を全否定することに繋がりかねないため、非常に難しいのです。
​実態としての「サイレントな変化」
​ただし、公式な教義は変えられなくても、会員個人の「現実の振る舞い」においては、かなりグラデーション(柔軟さ)が生まれているのが現代の実態です。
​地域の文化としての参加: 地元のお祭り(神社の祭礼)での神輿担ぎや、地域の清掃活動、友人の結婚式(神前式)への参列などは、現代では「地域のコミュニティの調和のため」「礼儀のため」として、個人の裁量で柔軟に参加する学会員が非常に増えています。
​非難の終息: かつてのように街頭や家庭で「神社参拝は悪だ」と大声で他者を非難するような過激な行動は、現在の組織の指導(コンプライアンス遵守)によってほぼ抑え込まれています。
​現代の落としどころ
​創価学会が選んでいるジレンマの解消法は、公式に「初詣に行っていいですよ」とルールを変える(教義を捨てる)ことではありません。
​それは、**「公式な教義の厳格さは歴史として掲げつつも、実際の社会生活においては、他者の信仰を尊重し、地域の慣習とも衝突しない『成熟した市民』として振る舞う」**という、ダブルスタンダード(二面性)とも言える極めて現実的な割り切りです。
​他宗の教えを認めるわけではないけれど、他宗を信じる「人」を攻撃することもしない。この「思想の純血主義」と「社会的な寛容さ」の両立こそが、現代の学会が目指している調和の姿と言えるのではないでしょうか。


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