24/10/23 11:37:05.76 aChS7tuAI
仄暗い河の淵の底の底に一匹の岩魚が定位している。
その岩魚は視線を常に川面に向け、流れてくる川虫を待ち構えている。
不遇な人生を送ってきました。
東京で暮らした二十数年はとくにわたしの人生に暗い影を落とすものでした。
四浪の末に新聞奨学生として入学した農業大学では、朝夕の配達に加えて販売拡張の勧誘などの雑務に追われ、
十代の時に憧れた探検部に入る余裕などあろうはずがありません。
やっとのことで卒業はしましたが、優秀な学生ではなかった私が就職出来るのは自ずと知れたものです。
本を読むことが好きでしたから、ぼんやりと出版関連への就職を考えるのは自然なことでした。
今のようにインターネットがあるわけではありませんから、手当たり次第に雑誌などの求人広告を漁り、まず内定がもらえたのが「ナイタイ」という怪しげな風俗誌です。
社長はこう言いました。
「我々は風俗誌で終わるつもりはない、これからはスポーツ誌の分野にも打って出るのだ」と。
ボクシング好きだった私の胸は高鳴りました。
東京の第一線でスポーツ記者として活躍する己の姿を想像すると、それまでの暗い人生に光が差し、
それはまるで映画かドラマの主人公にでもなった気分になったのです。
しかしその夢は儚く散ったのです。
実際に風俗店を周り広告を取る、継続してもらうための挨拶回りなど、
研修ではふるいにかけるような、あるいはわたしたちがこの世界でやっていけるのかを試すような、
えげつない経験をさせられました。
社長はこうも言いました。
「辞めたい奴は何も言う必要はない、黙って来なければいい」と。
一人二人と人数は減って行き、ついにわたしにも限界が訪れました。
そんなこんなでわたしが行き着いた先は、神田にある小さな出版社。
健康関連の業界誌の編集記者として、わたしの社会人生活がスタートしたのでした。
つづく