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明治政府は祭政一致を目論みつつも、欧米流の政教分離も掲げていたため、神宮教を全国民に強制することはできなかった。
神宮奉斎会はこの難題を解決するために作られた。神宮奉斎会は、伊勢神宮を崇敬する宗教団体ではなく、道徳主義の団体であり、伊勢神宮のお札である神宮大麻や暦本の頒布を書籍販売事業と主張したのだ。
要するに、伊勢神宮の崇敬に関わるマナー普及団体というわけである。
そして、その一環で神前結婚式が発明される。1900年5月10日、当時の皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)と九条節子(さだこ)の婚礼が宮中で行われた。
これをきっかけに、神宮奉賛会は、国礼修行部という部署を設け、神前結婚式の形式整備と普及を始める。
皇太子成婚の翌年、国礼講習会会長の下田歌子らによって、日比谷大神宮で模擬結婚式が行われた。