24/06/25 17:02:57.00 se9NLPRtw
月に大量の資源を見つけても輸送コストがかかる?
それは、月に新しい国家(植民地)を作り、月に社会を作れば、全て金融資産というデータ上の財産に変えられる。
4:恋する名無しさん
24/06/25 17:18:00.00 se9NLPRtw
アルテミス計画による人類月面着陸は、2026年9月に予定されている。
5:恋する名無しさん
24/06/25 17:20:37.10 se9NLPRtw
アルテミス計画最大のミッションは、月に天然資源の発見である。
儲かると分かれば、コストをかけても投資する
それが大人の世界である
6:恋する名無しさん
24/06/25 17:27:23.48 se9NLPRtw
きっと、アメリカは月の地下に石油があると予想しているんだろうな。
水ごときの資源で、こんなに多額の投資をするわけがない
7:恋する名無しさん
24/06/25 17:51:39.83 +4Ci+AjL+
だそうです。
8:恋する名無しさん
24/06/26 14:50:59.35 X9KzZEJUJ
どちらかというと大量絶滅レベルの隕石を予測して
隕石の軌道を早期に安全な方向に変える技術と
長期シェルター建設を進めつつ
万が一の場合の保険として地球外での長期世代交代環境構築も急いでるのでは。
9:恋する名無しさん
24/06/26 14:55:46.77 c/Yc6a9Gi
すべて関暁夫さんの受け売りです。
10:恋する名無しさん
24/06/26 17:00:55.49 rEJ0gzKL2
関暁夫さんの本を全て読んだほうがいい
関暁夫さんの予言はすべて外れているからだ
11:恋する名無しさん
24/06/26 17:06:12.68 rEJ0gzKL2
アルテミス計画の予算はかなりの額らしい
天然資源目的じゃないと、普通、そんな額を投資しないというほどである
12:恋する名無しさん
24/08/11 03:26:59.34 29hpetKXO
月は特定の国家や組織が勝手に資源採掘や開発しちゃいけない場所でなかったはずでは?
13:恋する名無しさん
24/08/11 12:03:57.03 Lf4aLP/ZR
「アルテミス計画」とは–日本人も月面へ、現状のスケジュール、わが国の役割など解説
下斗米一明(PwCコンサルティング合同会社)
世界で今、宇宙大航海時代の幕が開けた。そして、宇宙ビジネスが黎明期を迎えている。
近年の宇宙ビジネスが盛り上がりを見せているベースの1つに、米国を中心に日本も参加する月探査の国際プロジェクト「アルテミス(Artemis)計画」がある。
アルテミス計画とは、アポロ計画以来、約半世紀ぶりに人類を月面に送り込み、月での持続的な人類活動の構築を目指すものだ。
また、月の周回軌道には有人の中継宇宙ステーション「ゲートウェイ」を建設するほか、月を足がかりに、2030年には人類を火星に送る壮大なプロジェクトとなる。
アルテミスという名称は、ギリシャ神話でアポロの双子とされる月の女神に由来する。
アルテミス計画の目的
各ミッションのスケジュール(当初の計画より遅延も)
アルテミスⅠ:無人の月周回試験飛行(2022年11月~12月に成功)
アルテミスⅡ:有人の月周回試験飛行(2025年9月予定)
アルテミスⅢ:女性初の月面着陸(2026年9月予定)
アルテミスⅣ:ゲートウェイ組立拡充(2028年予定)
アルテミスⅤ:月面探査車による月面活動拡充(2029年予定)
背景にある宇宙を巡る国際競争
「アルテミス合意」と国際ルールメイキング
日本の技術と産業界への期待
アルテミス計画の目的
アルテミス計画の大きな目的の1つに、月の南極付近に氷の状態で豊富に存在すると見込まれている水資源や、重要鉱物の開発がある。
月面の水を水素と酸素に電気分解すれば、月面で燃料と酸素を自給でき、重力の大きい地球からロケットを打ち上げて燃料や物資を運搬するよりも効率的に火星を目指すことができる。
月に存在するアルミニウム、チタン、鉄などは基地を築く材料にもなる。
さらに核融合を起こす「ヘリウム3」も豊富にあると見られ、その量は地球上で使用する現在のエネルギー資源の数千年分に相当するとの見方もある。
また、同計画には日本のほか、欧州諸国、豪州、インド、韓国、UAEなど34カ国も参加する。
1960〜70年代の米国のアポロ計画では、合計12人が月面着陸を果たしたが、全て米国の白人男性だった。
アルテミス計画では、女性やパートナー国からの宇宙飛行士にも活躍の機会を提供する理念を掲げている。
日本政府はアルテミス計画において、2020年代後半に米国に次ぐ2カ国目の有人月面着陸を果たす目標を掲げている。
日本人が少なくとも2人、月面活動に参加する方向で米国政府と最終調整している。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2023年12月、アルテミス計画の有人探査を見据えた宇宙飛行士候補者として、2人を新たに選んだ。日本の貢献に対する期待が高まっており、今後の活躍を期待したい。
14:恋する名無しさん
24/08/11 12:05:43.58 Lf4aLP/ZR
この記事を読む限り、戦争に波及する要素はまったく見られんようだが?
15:恋する名無しさん
24/08/15 14:46:17.00 q4LVyvBkI
21世紀末に、人類終末の核戦争が起こるぞよ
16:恋する名無しさん
24/08/22 02:06:48.20 1qOXTdhc0
アルミのテラスを、わざわざ月に持って行って、地球に花火上げるんかい。
その前に 充分温まって沸騰して
17:恋する名無しさん
24/08/24 23:19:44.89 hBAFOy9fG
ドーリットル空襲
18:恋する名無しさん
24/08/24 23:40:18.96 hBAFOy9fG
ドーリットル空襲を問う。・・・・・・・01
皆さんは、ドーリットル空襲を知ってるだろうか。ドーリットル空襲とは、1942年(
昭和17年)4月18日に、 航空母艦ホーネットから発進した、B-25双発爆撃機ミッチェル
16機が、日本に飛来し、東京空襲をし、焼夷弾は使われず無差別都市攻撃された事件だ
。太平洋戦争の中で、初めて日本本土攻撃をした一連の空襲で、この空襲によって日本
も、米国も、大きく戦争の形を変えた。米国ヨークタウン級の航空母艦のエンタープラ
イズとホーネットを基幹とする、ハルゼー提督指揮下のアメリカ海軍機動部隊が太平洋
を横断し、日本列島(本州)東方海域に到達して、東京空襲の予行演習を行ったのだ。
ジミー・ドーリットル中佐が指揮官となって、B-25爆撃機16機は、日本本土各地(東京
、横須賀、横浜、名古屋、神戸等)に、都市攻撃の空襲を実施して、主に民間に被害が
出た。軍事的な戦果は、潜水母艦から、航空母艦へ改造中の大鯨(龍鳳)が直撃弾で、
損傷する程度で、いわゆる「軍需工場を狙ったもの」と戦後は説明されたが、実際には
、民間住宅地が主であった。又海上防備が、アメリカ軍機動部隊の掃討により漁船改造
の特設監視艇隊に被害が出た程度だった為、日本軍に与えた衝撃は極めて大きかった。
この後、作戦遂行においての、中華民国の国民革命軍の支援を受けて、日本本土爆撃を
終えたB-25のうち15機は中国大陸に不時着して放棄された事で、国際法違反が明らかに
なる。この際に、搭乗員8名が日本軍の捕虜となり、その処遇を巡って問題になった。
また1機はソビエト連邦支配地域に不時着して、搭乗員は抑留された。日本は直ちに、
軍組織の本土防衛の論議に係った、ここで軍律会議が決められた。つまり、民間人への
無差別空爆は、国際法違反であり、国際法違反の実行者は軍律違反者。と言う事である
。
19:恋する名無しさん
24/08/25 01:39:34.60 gM5V5BnSX
ドーリットル空襲を問う。・・・・・・・02
このドーリットル急襲には、幾つも新攻撃が使われていた。一つはCXAMレーダー
の試験である。CXAMレーダーは、アメリカ海軍研究所(NRL)が設計した2次元レーダー
で、八木アンテナで知られる八木の集大成の反射電波理論の発展形だった。アメリカの
海軍が、初めて艦隊配備した対空捜索レーダーをここで発明したのだ。また此のレーダ
理論で、同系列のSA, SC, SKレーダーが創られている。1936年8月、アメリカ海軍では
、周波数200メガヘルツ(波長1.5メートル)の実験機である XAFを製作して索敵電波の
発信と反射波の吸収を映像化した。1937年4月に、初めて駆逐艦「リアリー」に搭載し
、洋上試験が開始された。また1938年末には、戦艦「ニューヨーク」に搭載されて演習
にも参加し、実験を繰り返しその性能を上げて行く。これを元にした実用機として NRL
は新たに開発したのが、CXAMの完成品である。製造は、RCA 社が、担当して、1940年5
月より実艦搭載を開始し、8月までに戦艦「カリフォルニア」など戦艦・航空母艦・重
巡洋艦計6隻に搭載されたのだ。この頃既に、空母も補強し、自動小銃から対空兵器を
備え、甲板を鉄板にかえたエンタープライズとホ-ネット艦が出来ていたのである更に
ゼロ戦も高く、早く、航続距離の長い大型機のB-28が出来ていた。日本海軍でも、
96式97式99式一式の、艦攻や陸攻の飛行機が防備していたが、いずれも空気の薄
い上空ではエンジン消費量が大きく、更にレーダーや無線も貧弱なものであった。だが
米軍も、CXAMはあまりに大掛かりであり、装備するには巡洋艦以上の大型艦である必要
があったし、B型爆撃機も、離陸する滑走路は、エンタープライズは不足するものでも
あった。その為試験航行し試験飛行し更にこの時の空爆成果も、試験的に行われ、開発
したばかりの焼夷弾も幾つか落されたのである。すなわちB-18、B-23、B-25、B-26が、
候補に挙がったが、B-18は航続力、爆弾搭載量共に不十分、B-23は全幅が長く艦橋部を
通過できない、B-26は離陸距離が足りないといった問題があったため、条件をクリアし
たのはB-25のみであったがそれでも、波の高い向かい風で飛び立たなくてはならなかった
20:恋する名無しさん
24/08/25 01:42:23.06 gM5V5BnSX
正誤、B-28 → Bー18、B-25、B-26
21:恋する名無しさん
24/08/25 02:07:43.22 gM5V5BnSX
ドーリットル空襲を問う。・・・・・・・03
八木アンテナの八木秀次は、かなりの天才だったらしい。東北帝国大学理科大学の、
本多光太郎の知遇を得て、長岡半太郎に伝えられ、長岡と本多の推薦で海外留学が八木
に命じられた程だ。1913年からドイツのドレスデン工科大学のバルクハウゼン教授の下
で研究し1914年、東京帝国大学工科大学の鯨井恒太郎と一緒にスイスにいた。が、第一
次大戦勃発し、イギリスのロンドン大学のフレミング教授の研究室に移り、原子力分野
で信認を博していた。この頃には語学交換教師の『源氏物語』の研究で有名なアーサー
・ウェイリーに日本語を教えていた。1915年、渡米してハーバード大学のピアス教授の
下で研究した。ピアス教授もそれなりに有名な人で、それこそ推薦状が無くば雇われて
いないだろう。電話受信機のインピーダンスの変化を測定する実験をし、水晶発振の、
無線受信機に特許を持っていて、今でいうゲルマニュームラジオ原理の発明者でもある
。この電波の研究で、八木の関心は次第に無線の方に移っていった。帰国後には、当時
の電気工学の主たる関心が、いわゆる強電と言われる電力工学にあったが、いち早くに
、弱電と呼ばれる通信利用の分野の研究に取り組んでいる。しかし、研究活動の、資金
確保に当たっては、財団法人の斎藤報恩会から「電気を利用する通信法の研究」(八木
秀次、抜山平一、千葉茂太郎の共同研究)で1934年(昭和9年度)までに合計22万5000
円の補助金を受けたぐらいで、海軍も陸軍も見向きもしなかったのだ。しかしこれらの
成果として八木・宇田アンテナ、分割陽極型マグネトロン等の業績を生み出している。
八木・宇田アンテナは、アレイアンテナの一種でいわゆる指向性レーダー受信機である
。ダイポールアンテナ素子で、宇田新太郎の主導的研究によって、指向性短波アンテナ
や八木アンテナという名称で流通している。これは画期的ものだったのだが、知らぬ間
に日本より米国で発展したのである。レーダー開発など立ち遅れていた日本の科学兵器
開発指導に、海軍の永野修身軍令部総長の推薦を受けて技術院総裁に就任したが、時は
既に遅く、敗色濃厚の1945年(昭和20年)の予算委員会で質問に「技術当局は『必死で
ない必中兵器』を生み出す責任があるが、その完成を待たずに『必死必中』の特攻隊の
出動を必要とする戦局となり慙愧に耐えない。」と答弁。八木自身も熱線誘導兵器の、
研究を推進。因みに同研究は技術者の井深大と海軍技術将校の盛田昭夫が出会い、戦後
ソニーを創業するきっかけとなっている。
22:恋する名無しさん
24/08/25 02:09:32.79 gM5V5BnSX
ドーリットル空襲を問う。・・・・・・・04
1941年(昭和16年)12月08日に行われた真珠湾攻撃以降に、アメリカ軍は、日本軍に
対しては、各方面で一方的な敗退が続いた。さらに真珠湾攻撃終了後、同作戦支援に、
まわっていた日本海軍・先遣部隊(指揮官清水光美第六艦隊司令長官)の一部潜水艦を
抽出して先遣支隊が編成され、アメリカ大陸西岸で行動した。巡潜乙型潜水艦計9隻(
伊9、伊10、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、伊25、伊26 。更に偵察機収納伊方百番の
10隻が、太平洋のアメリカとカナダ、メキシコの西海岸に展開していたとされる。実は
太平洋戦争は、戦前からアメリカは通商破壊作戦として、日本の鉱物資源輸送艦など、
三井・三菱のチャーター船などが2~30隻が原因不明の沈没に至っていたのであった
。そこで日本も12月20日頃より連合国、特にアメリカに対する通商破壊戦を展開した。
その中にはドイツのUボートも展開していたと言われ、米国か英国かドイツかフランス
の攻撃なのかは、全く不明のままであった。が宣戦布告で真珠湾攻撃した以上敵国は、
米国であった。その結果、約10日間の作戦でアメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカの
タンカーや貨物船を5隻撃沈し、5隻大破させその総トン数は 6万4669トンに上った。
とされた。中には西海岸沿岸の 住宅街の沖わずか数キロにおいて、日中に多くの市民
の目前で貨物船を撃沈した他、浮上して艦船への砲撃を行い撃沈するなど、活発な作戦
を行ったとも言われる。1942年(昭和17年) 2月24日には、日本海軍び、伊17乙型大型
潜水艦によるカリフォルニア州サンタバーバラの、エルウッド石油製油所への砲撃を行
いこれに成功するなど、一連の本土への先制攻撃を行っていた。これらの日本軍による
一連の本土への先制攻撃は、これまで殆ど本土を攻撃された 経験のないアメリカ政府
や、のみならず国民にも非常に大きな衝撃を与えたといわれる。フランクリン・D・ル
ーズベルト大統領は、日本軍の本土上陸は避けられないと判断し、ロッキー山脈での、
これらを阻止する作戦の立案を指示し、同時にニイハウ島事件の影響もあり 日系アメ
リカ人の強制収容を指令することとなった。とされる。
23:恋する名無しさん
24/08/25 09:41:20.80 lW3yys5xL
ドーリットル空襲を問う。・・・・・・・06
満洲事変(1931年9月18日)勃発直後の9月21日、中国国民政府は、日本の軍事行動に
ついて国際連盟に提訴し、連盟理事会は12月10日、事実関係調査のためのリットン卿の
調査団派遣を決定した。こうしてリットン調査団が、日本と中国に派遣される事となり
、翌1932年(昭和7年)10月、その調査結果をまとめたリットン報告書が連盟に、提出
された。1933年(昭和8年)2月20日、日本政府は閣議を開き、連盟総会が「勧告」を、
採択した場合、連盟を脱退することを決定したが、天皇はこれを拒否すべく松岡に充分
に説いて送り出した。しかしして松岡にとって、天皇は軽い物だった。 2月24日、総会
において勧告案への採決がなされ、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム)、
投票不参加国1国(チリ)の圧倒的多数で勧告が採択された。ところがこの国連総会は
裏があった。中国空軍の上海爆撃は、第二次上海事変中の1937年8月に中華民国空軍と
日本軍との戦いの中で上海で起きた誤爆事件である。とされる。しかし、それより早く
世界中に配信された記事がある。つまり、米国空母から発進した、3機のたった1回の
空爆である。日本軍が襲ったとされるこの配信は、日本にある日本機でなく当時の中国
の軍事力では不可能であったダグラスによるものだった。当時、中国空軍が保有する、
大型爆撃機といえばマーチンB-10 6機と中独合作で得たハインケル He111 6機のみで、
あとの大半はノースロップ・ガンマ2EC、ダグラス O-2MC などの軽爆撃機であったのだ
この2~3発のみの映像は、日本軍の侵攻が描かれ、第一次大戦時のものまで織り込ま
れて、非常に意図的に、審議前の日本占領の映写会の観覧が行われていたのである。こ
うした政治的駆け引きと嫌悪するような意図的運びに松岡は 全く無頓着であった。又
この国連脱退以降の第二次上海空爆では、あからさまに自軍の自国攻撃に数万人の死傷
者が出ている。偽旗作戦のもっとも日本軍に成り済ました事件である。