20/08/04 00:40:06.53 .net
>>312
レーニン主義が何故、スターリン主義になってしまうのか。
解放派の説を参考に考えてみた。
解放派はレーニン「何なす」の外部注入論が、その根元であるとしている。
労働者は、そのままでは、組合主義的意識しか持てないから、学習したインテリ、「前衛」が共産主義的意識を注入してやらねばならないと云う理論。
これでは、「労働者階級の解放は労働者自身の事業でなければならない」と云うマルクスの原則の逸脱になる。
革命のあらゆる方策に、この労働者階級への客体化が反映されてゆく。
例えば、分派の禁止と地方書記の任命制による党の中央集権主義化、いわゆる民主集中制の固定化。
労働者はただ指導され支配される存在になってしまう。
こうして革命の目的である、労働者自らによる政治支配、社会革命、一切の官吏の選挙、リコール、報酬の平等化、国家の廃絶等は忘れさられてゆく。
レーニンは死の間際に、取り戻しを始めるが遅すぎた。
「レーニン最後の闘い」の敗北は彼が育ててきた中央集権主義的組織が階級独裁の否定にたつ独裁政党になった時、その組織の論理において彼を圧倒し粉砕したということであり、スターリンは、その人格的代表であったにすぎない。