給与と賞与くれat KYOUSAN
給与と賞与くれ - 暇つぶし2ch1:革命的名無しさん
19/12/27 19:33:49.07 .net
払えよ糞組織

2:革命的名無しさん
19/12/27 19:56:58.29 .net
元日本共産党員で、中央委員会常任幹部会委員を務めた
筆坂秀世は、宮本顕治をこう振り返る。
 宮本顕治―。昭和33年(1958)に書記長に就任以来、
議長引退までの40年間、党のトップの座に居続けた、
日本共産党の指導者だ。通称、ミヤケン。
 明治41年(1908)、現在の山口県光市にて肥料米穀商の
長男に生まれ、愛媛県の旧制松山高等学校から東京帝大経済学部に入学。
在学中、雑誌「改造」の懸賞論文に「『敗北』の文学」
と題した芥川龍之介論を応募し、第一席を射止め、文芸評論家として世に出た。
大学卒業後の昭和6年、共産党に入党。翌年、作家の中条百合子と結婚。
治安維持法により幹部の検挙が相次ぐ中、入党2年後には中央委員に
昇格するも逮捕され、
戦後、GHQの指令で解放されるまで12年間の獄中生活を送る。
しかも完全黙秘、非転向を貫いた。筆坂は言う。
「残酷な拷問を受けても転向しない。これは誰にも真似できない。
彼に立ち向かえる人なんていなかった」
 一方、日本共産党中央委員会に勤務していた、古参の元党員は別の見方をする。
「巣鴨の拘置所にいる時も百合子さんは、宮本がお腹をこわしたと聞けば
仕出し屋から粥を届けさせ、 食べ物だけではなく、らくだのシャツや
ふかふかの毛布など一杯、差し入れした」

3:革命的名無しさん
19/12/27 19:57:21.47 .net
 無期懲役の刑が決まり網走刑務所に服役したのは、20年6月、
クサい飯を食ったのは3カ月かそこら。
宮本は獄中生活の大半を、妻・宮本百合子の献身的かつ潤沢な、
物心両面での支えの下で過ごしていた。 その支えを、
後に踏みにじることができる人間でもあった。先の元党員は言う。
「許せないのは戦後、百合子さんの秘書と関係ができたこと。
百合子さんは髪を振り乱して、
『顕治さんはどこ行った?』と探していた。百合子さんの印税も入るし、
実家の資産と名声と、 百合子さんを踏み台としてずいぶん利用したと思う」
 宮本が権力を掌握できたのは「獄中12年」のステータスだけでなく、
熾烈な権力闘争の末のこと。
筆坂には改めて思うことがある。
「共産党は、自分たちの歴史は立派だと天まで持ち上げるが、
徳田球一、野坂参三、志賀義雄、中野重治など錚々たる共産党幹部が
今はみんな、ダメだと否定されている。
戦後、指導者として評価を得ているのは、 宮本顕治だけ。
立派なのは宮本さんだけで、あとはゴミみたいなものが作った政党なのかよって」
 政敵を除名処分などで粛清することにより、宮本は党の独裁者となった。
しかしその姿は清貧を旨とする共産党員とはかけ離れていた。
先の元党員は、こんな姿を鮮明に記憶している。
「何でも一流のもの、ブランドが大好き。背広は英國屋で
ネクタイはフランス、靴はイタリアのブランドで。 鰻重が大好物で、
それも銀座の有名料亭のものと決まっていた。新聞は朝日新聞、
テレビはNHK。 党のトップは常に東大卒、不破さんも志位さんもそう」  
数年に1度の党大会で振る舞われる料理にも、“ヒエラルキー”をつけた。
「コックは元帝国ホテルのシェフでしたが、嘆いていた。
『組織内の身分の違いでメニュー内容が変わるのは日本共産党だけ』と」

4:革命的名無しさん
19/12/28 00:01:31.62 .net
給与やるよ。


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