16/09/03 09:48:49.00 .net
>>891
このあたり、ほぼ認識は共通です。
>本多さんの色んな姿の中で、今の私は「革命の現実性」論の真否性の検証
が避けては通れない。(その4)
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
試行錯誤と吶喊精神
その背後で、「労働者党」の構想と未だ始まったばかりのそれへの認識と構想
がどう関連付けられていたのかも良く分からない。とはいえ、「机上の空論な
どどうでもいい。実践こそすべて」。わたしもそうだが、ひとたび燃え上がれ
ば、昨日の議論など投げ出して、突き進む。それが「実践家」の性(さが)で
もある。偉大な実践家の片言隻句を引き出して学ぼうということ自体が、空し
いとも思える。だからこそ、「理論と実践の云々」とか「実践家と理論化の分
業:協業」が議論される。ま、もともと理論のできない優れた実践者も数多く
いるわけだし。もともとは革共同という「未だ党ならざる同盟」を自認した中
核派は、「党不在」のまま「闘いの前衛」を担い、「党への芽」を自ら断った
。「党としての闘い」の結末はそんなことでしかなかった。それならそれでい
いのだが、それならそれと何度も何度も自問する。あの時、中核派の延長に党
を夢見たのか?それとも生まれるべき党のほんの片隅に入れれば良い。そうい
う機運を作れれば、その礎になれればいい、だったろうか?では「党とは何か
?」への思いを抱きながら…。謙虚さを装いながら、あまりに直線的な思考。
その意味では、70年決戦とは、実は全国的な小蜂起的総決起の時代だったこと
を示したのではないか? 二重対峙戦の背後の時代認識がもう一つの課題にな
りそうだ。