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舛添「青木理氏の『安倍三代』という本に詳しいですが、かつて在日朝鮮人や韓国人が安倍晋太郎さんを支援したんです。
下関は林家が地元財界を全部押さえていて、安倍は田舎のほうからやって来た新興勢力でしかなく、大都会に足場がなかった。
その時、在日の人たちが支えたんです。
安倍晋太郎さんと会うと、そうした共通の友人について
「舛添さん、ちゃんと彼の面倒を見てやってくださいよ」という話をしていました。
日本会議みたいな人たちに支えられていると、そういう面は絶対に出せないと思いますが。」
―舛添さんの父・彌次郎さんは、戦前に福岡県若松市(現・北九州市)の市会議員選挙に出た時、投票権のあった朝鮮半島出身者にアピールするためハングルのルビを振ったポスターを作りました。
それを、「日本人ではないのではないか」と舛添バッシングの材料にするものもいました。
舛添 そうなんです。
当時はハングルで名前を書いて投票してよかったわけです。
嫌中、嫌韓にまつわるヘイトスピーチは歴史が浅いと感じるのは、そういう経験があるから。