【百科事典】ウィキペディア第59版【Wikipedia】at INTERNET【百科事典】ウィキペディア第59版【Wikipedia】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト630:192.168.0.774 18/12/03 17:24:07.89 ruR1lBKM0.net 物書きは気楽な商売である。売れるも売れないも、畢竟、運次第である以上、自分が書きたいと思うことを書くことに専念すればいい。 テーマも素材も自分で見つけ、自分の思うがままに料理するだけの話だ。好きなことを好きなように書くだけであればチラシの裏にでも書いていればいいし、それを世に出したいと思うのであれば、今の時代、ネットの便利なサービスがいくらでもある。 それらを使って自分で勝手に世に問えばいい。世間にはそんな方法で立派に飯を食っている物書きはたくさんいる。 しかし、書いたものが編集者の目にとまったり、あるいは、編集サイドから物書きに執筆の依頼があったりして、書いた原稿が物書き個人の手を離れ、校正や校閲を経て書籍となり、出版市場に流れ出るとなると話は違ってくる。 金額の多寡はさておき、価格をつけて市場に流すのだ。当然、製造者としての責任もあれば、販売主体としての責任も発生する。 今、念頭に、幻冬舎から出版された『日本国紀』なる書籍について思い浮かべている。 著者である百田尚樹氏については触れない。正直どうでもいい。同書を二度ほど通読したが、普通のライターならば即刻キャリアが終わるであろうウィキペディアからの無断転載や稚拙な文章などなど、その内容は論評するに値しない。 百田氏は物書きとして「まともな人間から相手にされない自由」を行使したのだろう。 私が不思議に思うのは、あのような本をいまだに流通させ続けている幻冬舎の「製造物責任」だ。あの書籍の帯には、ご丁寧にも「幻冬舎創立25周年記念出版」との惹句が躍っている。 それなりに社として力を入れた証拠だろう。だとしたら、幻冬舎はいまだに、著者自らが(!)ネット番組で、ウィキペディアからのコピペを認めたような書籍を社の方針として流通させているということになる。 こうなると意味がわからない。ウィキペディアの通説を、しかも引用の要件さえ踏まえずにコピペするなどという物書きとして自殺行為としかいいようのないことを著者自身が告白しているのである。 にもかかわらず幻冬舎はそれを売り続けており、そのことについて何らかの見解すら表明していない。 おそらく、幻冬舎の見城徹社長も、著者の百田尚樹氏と並んで、「売れればコピペでもいいんです」「所詮、僕たちはウィキペディアで満足なんです」と満腔で主張されたいのだろう。 そうなさることはご本人たちの自由ではある。しかし、あんなものが「商品」として売られてしまっているとなると、同じ市場の一端に属する者としては、こちらも満腔からこう主張したい。 「恥を知れ、恥を」と。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch