20/05/17 01:52:40 VSbdkjLm.net
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサー
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは―い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか―
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々―ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、