23/11/19 13:38:10.92 pwdMyfhd0.net
>>869
オスマン帝国では皇帝がハレムでせっせと子作りしましたが、
12代目のメフメト1世まで兄弟同士の争いを阻止する(唯一穏便に終わったのが2代目オルハンのみ)ため、
「皇位継承できなかったものは全員粛正」という荒業で問題を解決していました。
このためセリム1世などは自重したのか息子がスレイマン1人だけでした。
ちなみにこんなことやってたので皇族の厚さが全く成長せず、
メフメト1世崩御の際に10歳前後の息子2人しか皇族がいないという異常事態になり、
もうやめようという事になり以後は自動的な粛正はやらなくなったそうです。
(謀反阻止のため皇帝命令で傍系処刑はある)