23/04/01 20:40:34.00 SD/erEjt0.net
>>89
>>90
テレビゲーム等も語るしスポーツもカードも語る
ゲームって単語は野球もカードもコンピューターゲームもすべて内包する
>>99
ゲーム作りとは制限作りなんだから「制限を作るためには必ず制限するためのプレイヤー行動」が必要になるので制限出来る事が一つもなければそもそもゲームが作れないし、作ってもゲームにならない
ゲーム作りを言い換えると、「敗北のパターン作り」「ゲームオーバーのバリエーション作り」とも言い換えられる
ゲームを遊ぶとは、言い換えると「ゲームオーバーを避ける遊び」
負け(行き止まり等も)のバリエーションが増える程ゲームは面白さが増す訳で
負けのパターンが減っていって0になれば一本道を直進すればいいだけになる
行き止まりのない目色はゲームにならない訳で
進む道だけ作ればいいのなら進まない分かれ道も行き止まりに通じる道も作る必要はない訳で
行き止まりに通じる道を作るのは無駄って事に
負けとは、プレイヤーの自由に動ける行動範囲の中から作リ出すもので
如何にゲーム作りにおける資源のプレイヤーの自由の切り崩して負けパターンを作るか?がゲーム作りの本質
なので自由がまずなければゲーム作りは始まらないし、プレイヤーの自由とルールの制限は同価値になる
>>100
>後から制限するぐらいなら『最初から作らない』
その考え方が今の標準的な考えで
その考え方がゲームを作れない主原因の一つ
プレイヤーに自由度がなければ、指示されたレールおたどるだけに必然的になる
ゲームって概念自体が「出来ない事」「ゴールへつながらない事」「やったら失格にされる事」の山の中から
「ゴールへつながる道」を探し出す作業を倒し無遊び
これはゲームの基本なので作らなければゲームにならない
でもこの「プレイヤーの進まない道は無駄で不要だから作らない」って考えは今の標準で
だから「次回プレイヤーが王様に会って話す事」だったらそれ以外の行動が作られていないし取り用もないって一本道で命令される形式になる
この構造はゲームの基礎なので、なければ自動的に一本道になる
乱暴に言ったらマリ○で落とし穴が不要って考えに至る
「落とし穴は結局プレイヤーが避けて通るものなので作るのは無駄」
仮に欲求が出たとしても、分析して答えを出す作業とは無関係で
目的が分析の答えを出すだったら作業内容は変って来る
恐怖娯楽の求める怖いもの見たさとは、探究心の事なので
探究心を擽る恐怖娯楽そのものが状態にできる保証になる
夏になると定期的に怖い娯楽が流れるのも