14/04/27 02:00:13.94 FLuc500j.net
URLリンク(stat.profile.ameba.jp)
平等主義は悪魔の思想
私がこれまでお話ししてきた「聖なるウソ」の目的は、民族を無意識にすることでした。
身分階級の秩序、最高の法、支配する法といったものは、人間がなにも手を加えてい
ない本当の自然の秩序、自然の法則性をただ認めたものです。近代的な理念では、
それらを左右することはできません。
健全な社会であれば、人間は自然と三つの異なるタイプに分かれます。
精神がすぐれている人、筋肉や気性が強い人、そしてそれ以外の凡人。
もっとも凡人が大多数ですね。それ以外の選ばれたエリートは、ごく少数だと思います。
この少数者は、高貴な者の特権を持っています。その特権には、「幸福」や「美」「善意」な
どを地上に実現させることが含まれてます。
また、精神的な人間たちには、美しいものを味わうことが許されています。彼らにおいては、
「善意」は弱さとはならないのですね。
美しいものは、少数者のものです。
だから、「善意」も一つの特権なのです。
汚い手を使ったり、ものごとを悲観的に眺めたりする。ものごとを醜くとられる眼。あるいは、
ものごとの全体像に対して、むやみに腹を立てる。そういうのは下層民の特権です。
「世界は完全である」ともっとも精神的な者の本能は言います。不完全なものやレベルの低い
ものも世の中にはたくさんありますが、そういうものを全部含めたうえで、完全だと言うのです。
もっとも精神的な人間は、強者の自覚を持っています。それなので、他人が「もうダメだ。」と
言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試してみることの中
に、自分の幸福を見つけます。
彼らは自制を求めます。
精神的な人間は、我慢することを自分の本能とする。そのような重い課題を彼らは特権とみ
なすのですね。そして、弱い人間だったら圧しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそ
ぶのです。
精神的な人間は敬われるべきですが、同時に彼らは快活で、愛すべき人間でもあります。
彼らは支配を行いますが、彼らがそうしたいのではなくて、彼らの存在がそもそもそうなのです。