25/04/20 16:27:55.02 iB55925s0.net
パワーブックG4のバッテリーが新しくなったので、実に快適になった。
必要なのは、使わないカメラよりも、新しいバッテリーだ。ここに生活の真実がある。
プラハのパベルよりメールの返信あり。今週は南フランスにTVの仕事とか。
29:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:35:23.13 iB55925s0.net
東京の佃島で暇人が集まって全く売れなかったスイス製の一眼レフアルパカメラの同好会を作ったのが30年以上前でそれが解散したのが20数年前である。もうその事は誰も覚えていないから、忘備録として、ちょっと書きつけておきたい。
その当時の日本の中古カメラ市場では、アルパの一眼レフなんてだれも欲しがらないし、大抵壊れていたので、我々が研究会を作ったら壊れたアルバを大量に押し付けられることになった。そのうちアルパの研究が進んで自分たちで分解して修理できるようにまでなったのだからすごい。
何十年もこのスイス製の鳩時計みたいなカメラを使っていて考えるに1番使ったのはこのモデルだと思う。これは第二ジェネレーションと呼ばれているモデルであるが、そのスタイルが好きなのだ。
よく例えとして描くけれども、1950年代のスイスの電気機関車のようなスタイルと言うのである。実際にこれによく似た存在感の電気機関車というのが、大昔はスイスで走っていた。
アルパの会社は自分ではレンズを作らないから、全部外国のレンズメーカーに頼っていた。広角レンズのほうはフランスパリのアンジェニュー24ミリと28ミリである。別に素晴らしいレンズと言うわけではないが、レトロフォーカスの世界で1番最初に作られたレンズであるから、そこに性能うんぬんと言うのはもともと無理である。
これはアンジェニューの28ミリだけど、Exaktaマウントであるから、自動絞りの連動する位置が120度ずれているのであるが、別に使用上は何の問題もない。それをマウントアダプターでアルパに付けている。
アルパはどんどんモデルチェンジして、1番最後の頃の製品の専用のレンズと言うのはペンタックスのたくまレンズであった。そこら辺がなかなかレンズのことがわかっていたカメラメーカーだと思う。
30:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:36:26.64 iB55925s0.net
アルバ研究会の頃
3十数年前の佃島でスイス製のアルパと言うヘンテコリンな一眼レフを愛好する怪しい集団があって、毎月1階秘密結社を開催していたのであるが、10年ぐらいやってもこういう馬鹿は充分であると言うので自主的に開催したのであった。
メンバーの1人がアルパの専門の研究書籍を出したり、テレビ取材が入ったりして何が何だかわからない。このてんやわんやの10年間は思い出すとなかなか楽しかった。会費1000円ずつ出し合って向かいのスーパーに買い物に行って大宴会をやるから、当初は、アルパ研究会あったのが知らない間に、アルコール研究会になってしまった。
まだネットオークションなどが登場するずっと以前の話でメンバーが持ち寄った不良品ではなかった不用品は非常に安い値段が付いていて、ジャンケン大会で勝った人がそれをゲットすると言う原子共産制みたいな資料流通がそこに存在したのであった。
当時はアルパカメラと言うのは、銀座のカメラ屋さんの厄介もので、そういう背景から壊れたアルパカメラが作った時間に吹き寄せられて自然発生したと言うことになる。
手先の器用な連中もいるから、だんだん修理に慣れてきて壊れたアルパカメラは自分たちで治せるような共同体になってしまったのが今にして思うと不思議である。アルパのモデル10というのがあって、このファインダーが不思議なほど真っ暗でよく見えないのである。それでメンバーがいろいろ知恵を絞ったがなぜ暗いのかがわからない。
それで理解できた事は、ファインダーのコンデンサーのレンズが上下逆さまに間違って取り付けられていたのである。逆さまに組み直したら明るい画面になった。
会員数が120人ぐらいになったりして、これは何とかしなければいけないと思っていたら、Retinaハウスの経営者の望月さんと言う人は冷酷な独裁主義者であるから、毎月一定の日に開かれるアルパ研究会の日にちを中心のメンバー以外には教えないで大粛清を行ったこともあった。ここら辺の独裁者のやり方は冷酷で私などはなかなかできないのだが、さすがクレムリンの上に立つような人は凄いなと感心したことであった。
31:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:37:09.08 iB55925s0.net
アルパカメラの存在感
ゴールドカメラというものがある。1つのジンクスだと思うのだけど、カメラメーカーがゴールドカメラを出すと、その会社はやばいと言うような感覚が、我々カメラ人類の間にはある。
アルパカメラは最初のモデルが1947年に登場して、それから50年位は存在したのだから、カメラメーカーとしては長く頑張った方だと思う。それで一定数のゴールド仕上げの一眼レフを出しているのだ。
ゴールド仕上げで1番間違いをしたのは、日本のカメラメーカーでペンタックスとかコンタックスの一眼レフもそうであったのだけど、霧の箱に入って、カメラを触るときに白手袋が必要であろうと言うので、それが付属している。要するに、化粧品扱いの考え違いの方向なのだ。
それに対してゴールドのアルパは実際にかなり使われた痕跡があるから、カメラ人類はこのカメラをちゃんと理解していたことになる。問題なのはゴールド仕上げに対するカメラ本体のレザーの色のコントラストなのだ。ゴールドに対してレッドとかグリーンのレザーになると、いかにもけばけばしくて品格が失われてしまう。
それに対して、このモデルは、グレーのレザーを使っているところが非常に品があって気に入っているのである。
もう一つこの時代のアルパカメラうざっには、面倒なところがあって、ネックストラップアイレットと言うのは別のアクセサリー部品でそれをねじ込むようになっている。これが数が少ないので、最近はもうほとんど見かけないが20年前ですらネックストラップ、アイレットの金具が2つで20,000円以上すると言う馬鹿な値段であった。そういうものを手に入れる我々の方にも責任があるのだがね。
32:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:38:00.02 iB55925s0.net
スイス製の高級一眼レフカメラアルパであるが、1947年に最初のモデルが作られた。このカメラのもともとはスイスの時計メーカーの下請けをやっていた会社がカメラを生産したと言う伝説がある。
戦前にジャガールクルトの会社がコンパスと言う高級カメラを出したこともあった。それで時計メーカーが作ったカメラに共通して私が感じるのはこれは時計であると言う存在感が非常に強烈なことだ。時計ではあるのだけれども写真を撮ることもできます。と言うような微妙なものの、属性のバランスに両足をかけているようなところがあって、それがこのカメラの魅力である。
実際にアルパカメラの初期モデルを操作してみると、古い懐中時計のネジを巻いているような指先の感覚がそこに蘇るのである。初期モデルの方がなかなか我々カメラ好きには気に入ったところがあって、例えば一眼レフのミラーはクイックリターンではなくて、上がりっぱなしになるなどと言うのも品格が高いと言う気がする。
オリジナルはオランダのオールドデルフトの50ミリが付いているのであるが、他に交換レンズがなかなか見当たらないので、25年位前に友人に頼んでレンズマウントアダプターを作ってもらった。ペンタックスのレンズが全部この初期のアルパに使うことができる。
ところが、そのレンズマウントアダプターの食いつきが、ちょっと甘いので、頭の悪い私はカメラボディをアロンアルファで固定してしまったのである。こうなると、地球の実験軸と同じことで、絶対に動かしたり外したりすることはできない。
それでも風の少ない純正アルパマウントレンズよりもレンズマウントアダプターは外れないけれども、そこら中にあるタマーレンズとかエム42のレンズを使えるようにしてあった方が、実際問題としては現実的なのである。
この時代のカメラはネックストラップアイレットがついてないから、エバレディケースに入れて使うというのが常識になっているが、これがまたエバレディケースが単体で数10,000円すると言うような我々の足元を見たひどい商売が行われている。
私の友人で、カメラに関しては、かなりお若いのにレベルの高い人がいて、その人が私のためにホームメイドのエバレディケースを作ってくれた。皮肉なことにアルパのスイス製のオリジナルのレザーケースよりも、その作り込みのレベルが高いので素晴らしい。
33:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:39:26.26 iB55925s0.net
今はもう存在しないカメラ雑誌の取材で、ドイツはケルンのフォトキナ2970年代から30年近く通ったわけである。現地レポートで新製品のカメラを拝借して撮影することもあったが、当時の新製品は全部デジタルカメラではなく、フィルムカメラであったと言うのも何やら感慨深い。
スイスの最高級一眼レフカメラアルパカメラが資本が変わって新しいセミ版を出したのでそれを取材に行った。その小さな会社の社長さんが冗談で作ったのがアルパカメラブランドのピンホールカメラなのである。カメラコレクターで特にアルパカメラのコレクションをしている人は、このカメラは限定版であったから、買い逃して今になって残念がっているのだと思う
確か学研の付録みたいなボール紙の組み立て式であってピンホールである。それでケルンのカメラ屋さんに1本だけモノクロフィルムを買いに行って撮影した。ストリートスナップを取るわけにはいかないから、心がけるんだという意味で、大聖堂とローマ時代のコレクションがあるミュージアムのエントランスを撮影した。
この当時のケルンと言うところは、ローマ帝国の最も北の部分に位置する植民地であったからだ。半世紀以上にわたって、ずいぶんたくさんのカメラを使ったが、ピンホールカメラを使ったのはそのうちの貴重なワンショットと言うわけだ。島根の出雲に在住の写真家の小池さんが、私のカメラジャーナルのバックナンバーをコレクションして、時々Facebookでアップしてくれるのでありがたい。
34:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/25 10:27:30.07 rqhcb3ex0.net
超とっく
スレリンク(mnewsplus板:56番)
35:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/26 14:57:24.96 PEalL/ot0.net
アルパ研究会の思い出が懐かしいですね。
M月さんの恐怖政治は、不穏な動きをするブルジョワ的反革命分子を排斥する意味において、アル研という組織を守る為には必要だったのではないかと思われます。特にあの時期は色々ありましたから。
36:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/27 08:00:17.71 X9/Jmrv/0.net
ニフティフォーラムからですね。
初期は平和でありましたよ。
37:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/28 10:22:26.83 0FIV7xB70.net
アルパ「香港フラワー」という写真集出した人をスゴく馬鹿にしてた爺さんいましたね。
「あんなの犬でも撮れるわ!」と酷い言い様でしたよ。
38:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/29 01:10:33.25 8F2DqmcA0.net
アルパ研究Y縣さんね
某カメラ倶楽部では人気者ですよ
過去にばっかりこだわる愚か者はさっさと消えなさいなww
39:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/30 08:33:19.30 D9ItapHO0.net
アル研かぁ
懐かしい
もう鬼籍に入られた方も多いもんな
良い意味でめちゃくちゃな時代であった
そういえばピューリッアー賞取った長尾靖氏が孤独死で無くなった時、あの爺さんが「アイツが賞で貰った黒のM2とレンズはどうなった!?」と騒いでたわ。
40:名無CCDさん@画素いっぱい
25/08/10 17:59:38.41 E8a7zScs0.net
アルパ研究会 なつかしいですね
41:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/13 18:38:39.31 eO1WgYNf0.net
いつの間にかリバーサイドシティから五反野のアパート暮らしになっていたんすね、チョートクさん。
42:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/13 18:40:49.19 eO1WgYNf0.net
東京都足立区西綾瀬2丁目22 メゾンドユキ西綾瀬
43:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/24 22:07:06.68 Xu27ICRY0.net
70過ぎの賃貸引っ越しかあ。
44:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/25 08:01:49.00 3SKJd1Ke0.net
ワロタ
45:名無CCDさん@画素いっぱい
25/10/11 08:44:18.46 wZuN22o60.net
家賃65,000円か笑
46:名無CCDさん@画素いっぱい
25/10/20 10:19:56.22 7ltZp4FP0.net
南田神田いっても写真は上手い(上手い時もあった)
47:名無CCDさん@画素いっぱい
26/03/09 08:45:24.21 ooGcYt8V0.net
チョートクさん元気ですか?
48:名無CCDさん@画素いっぱい
26/05/04 12:29:51.62 ht9wDoSG0.net
フェイスブックに出没してるね