25/04/19 19:47:17.88 gqZQXQZR0.net
老いて益々】田中長徳ファンのスレ その6【老化】
スレリンク(dcamera板)
3:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:48:28.64 gqZQXQZR0.net
わりと入札あるしなあ
美術史の研究家とかは欲しいのかもしれん
こういうのはなまじ本人が死んでから捨てられるよりこのほうがいいのかもね
4:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:52:43.12 gqZQXQZR0.net
きったねぇ出品も多くあれを買ってやるとしたら本人の生活支援の意味だな
5:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:55:39.90 gqZQXQZR0.net
佃島のカメラジャングルって今もあるのかな?
動画は自宅のゴミ屋敷から?
6:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:56:29.33 gqZQXQZR0.net
Lordちょっと保水
7:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:56:59.02 gqZQXQZR0.net
メモの入札なんか捨て垢からだろ、田中長徳研究なんて誰がやるんだ。
8:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:57:29.26 gqZQXQZR0.net
美術史の研究家らしい
9:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:58:24.91 gqZQXQZR0.net
基本的にフリーアドレスなので、どこに座っても問題ないのであるが、それぞれ野生動物と同じで自分のテリトリーを設定したくなる。それで私はいつもこの席に座ることが多かった。地上に100メーター以上はあるので空気が希薄である。それは慣れてしまうのだが、10年間も入るとやはり希薄な空気で私の思考がかなり鈍化していたのではないかと言う気がする。もともと頭の回転が悪いのが地上200メートルでさらに加速されたわけだ。
座っていた椅子はアーロンチェアなのだが、数が多くないのでこれも争奪戦となった。
ヒルズができたのと同時に50階にあるヒルズクラブのメンバーにもなった。会費が高いからその分メニューは若干安くなっているのであるが、ヒルズのクラブだからやっぱり高いことには違いない。六本木ヒルズと言うのはやはりランチ難民になる。コンビニは1つしかない。それで仕方ないからクラブに安いランチを食べに行った。
あんまり代わり映えのないランチを毎回食べると言うのも退屈なものだが、ヒルズができた頃はまだ珍しいのでいろいろなお客さんが来たのでそれで結構喜んでくれるのはありがたかった。
10年位国で仕事をしていて座した本は20冊以上になるから元は取れていると言うべきであろう。しかも私のライカ本の話はだんだん現実離れしてきて、目の前に見える東京タワーがツェッペリンの飛行船のするになっていて、日本に最初に流されたライカがその飛行船に乗っていると言う馬鹿げた話も書いた。
10年位国で仕事をしていて、雑誌した本は20冊以上になるから元は取れていると言うべきであろう。しかも私のライカ本の話はだんだん現実離れしてきて、目の前に見える東京タワーがツェッペリンの飛行船の停泊するタワーになっていて、日本に最初に輸入されたライカがその飛行船に乗っていると言う馬鹿げた話も書いた。
こういう馬鹿げた想像力と言うのも、やはり気圧が低いと言うことに背景がありそうだ。
ちょうど10年間六本木ヒルズに通ってそれで卒業したのである。それからもう11年が経過した。
10:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 19:59:06.49 gqZQXQZR0.net
猫の中田さんが雑司が谷方面は詳しいのである。その中田さんがFacebookにアップしていた記事で、紙兎ロペのフルーツ屋さんがラーメン屋さんになっていると言う書き込みがあった。
私は東方シネマは見ないし、富士テレビも見ないので、ロペに感染したのは後期高齢者になってからだから症状が非常に重い。このシリーズは2011年にスタートしたそう。だから、その時私は3月11日の東日本大震災の時に、マンハッタンに撮影に行っていて、あちらであたふたしていたのである。
雑司が谷の街の構造を完璧に知るためには、30年かかったのである。同じ位複雑な街並みと言うのはポルトガルリスボンのα間であるが、こちらは大体15年位で街の全貌が明らかになった。
フジテレビでやっていたドラマか何かでこの角地のお店が八百屋さんであったと言うのは事実である。そのこともドラマは見ていなくて、中田さんからのインフォメーションでしたのである。
それで、つい最近に中田さんがアップしたのがこの上の画像であって、フルーツ屋さんがラーメン屋さんになったと言うので、驚いているショットだ。
中田さんの書き込みによると、この角地のお店は最近ラーメン屋さんになったと言うので、私は街角の店舗のアピアランスを見ると、意外と正確に場所を当てることができるのであぁそうかと納得したのである。
1年位前のまだ寒い時期の日曜日だと思うけれど、このフィクションではラビットフルーツのお店がラーメン屋さんになって、そのラーメン屋さんに入って、日本酒いっぱい飲んでラーメン食べた記憶がある。
こういう本末転倒のオリジナル現場に信仰心を持ってピルグリムと言うのを私などは馬鹿にしていたが、そのことが自分の身の上に起こるとは思わなかった。5年位前に四谷の高台にある須賀神社と言うところにやたら若い連中がたくさんいるので、それが不思議で神社本町の若いボランティアだと思っていたのだが、同行者が説明してくれるところによると、ドラマの舞台ね。この神社が登場したので、それで若い連中が右往左往しているのだそうである。
ロペのお店で出されたラーメンはおいしかった。もともと腕組み系ラーメンを食べない主義なので、街中ラーメンと言う存在感である。考えてみたら、最後にガストロノミーでラーメンを食べたのがこの店だったのだ。
11:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:00:32.42 gqZQXQZR0.net
Winで暮らしていた当時の1970余年と言うのはやったら雪の降る冬だった。ここは非常に冬の寒さが厳しいのであるが、行が降るときはそんなに寒さを感じないのである。雪の降らない時は本当に寒い冬であって、私のアパートメントのすぐそばにあったドナウ運河が凍ったりしたことも1回だけあったと記憶している。
それでこの雪を半分かぶったアヒルのショットであるが、遅くまで友人の家でワインをしたたかやって帰ってくるときの路面電車の乗り換えで、目の前にこの雪のアヒルが止まっていたので1枚だけ撮影をした。
この1枚だけ撮影というのが結構重要なことであって、その時のネガフィルムを見ているとこれを撮影した後、私は大通りの地下道を潜って、反対側の路面電車の停留所まで歩いて行ってそこの前後関係も1枚ずつ撮影されている。
ドイツ語圏では、この車はニックネームでアヒルと呼ばれていた。だから、それを運転している人はアヒルの運転者と言うことになる。でも、オーストリアはアドルフを生んだ国であるから、フォルクスワーゲンがメジャーな車であって、フランス製のアヒルなどはちょっと変わり者が乗る車と言うような認識だった。それでもアヒルは、ウィーンの街角を元気に走っていた。
それから50年経過してみると、Facebookで私の友人が東京のここでシトロエンのアヒルを見たと言うような目撃情報が上がってきて、つまりアヒルを見ること自身がイベントというかニュースになってしまっていることがわかった。
こういうブリキで作られた車は車検等も大変であろうと思う。実は私はこのアヒルのほうのシトロエンは乗ったことがなくて、ヨーロッパにいた時はちょっとだけDS日には乗ったことがある。これも面倒な車であったが、腰をあげるときの油圧で車高が高くなっていく感じが、ラクダに似ていておしゃれであった。
12:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:01:21.22 gqZQXQZR0.net
ウィーンに暮らしていた1970年代に近くのカメラ屋さんで500円ぐらい払って手に入れたのが1938年版のコンタックスとそのカメラと付属品の総合カタログみたいなものだった。
コンタックス2型と言うクローム仕上げのカメラは、当時の最高級モデルであるが、そのカメラを歌うんグレードをしたのがNetaxと言うモデルで、これは50ミリの標準レンズと105ミリの望遠レンズが交換できて距離計に連動するのである。
その総合カタログのドイツ語を細かく読んでいくと、小さな文字の羅列があって、専用のレンズマウントアダプターをつけるとテッサ2.8センチの広角レンズが使えるとある。その当時あぁそういうものかと納得したのであった。
ウィーンの暮らしを終えて、極東に戻ってきて、十数年経過してようやくNetaxが手に入ってそれを使うようになった。しかしウィーン時代の総合カタログの刷り込みが入っているから、レンズ交換は専用マウント以外できないと考えていたのである。それは総合カタログにちゃんと説明されているから当然の理解の仕方だと思っていた。
それから20年位が経過してある時Netaxのレンズを外してそこらにあるコンタックス用の外爪バイオネットのレンズを無意識につけてみて驚いた。ちゃんとつけることができるのである。このショットがその時のびっくりした記念写真である。
要するに、戦前の総合カタログでは、テッサ2.8センチをつけるためにはマウントアダプターが必要と書かれていて、そのカタログ番号もちゃんと印刷されている。ところが何の苦労もなく、いきなりテッサ2.8センチがカメラ本体についてしまったわけだ。
その謎はそのままにして今に至っているわけである。
13:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:02:02.63 gqZQXQZR0.net
カメラジャーナルと言う8ページの月刊誌は1993年にできたとこの50個限定のフォクトレンダーのカメラのレンズキャップに書いてある。ちょうど今年で創刊30年になるのか。なかなか感慨深いな。
実際にカメラジャーナルが発行されていたのは10年間だけであったが、後半の3年間はページ数が増えて記事が足りないので編集長から依頼されて佃日記と言うのを書いた。それがそのままオンラインになって今でもカメラノートで継続しているわけである。
当時はハリネズミがカメラジャーナルのキャラクターであって、このフォクトレンダーカメラの限定盤も、おそらく創刊100号とかそういう区切りの時に作られたものだと思う
このハリネズミ画像は、Facebookあたりで発見したものだけど、その説明によると、カメラの個体は南米にまで行ってそこから里帰りしてきたものらしい。何か凄いね。
四半世紀前にヨーロッパに取材に行った時など持参するの笑日であったが、もちろんフイルムカメラであって、何か開花に事故が起こっても、ヨーロッパのあっちこっちにあるカメラ屋さんで、コシナの一眼レフが手に入るから、カメラが壊れても心配ないと言うような安心感があった。
ハリネズミバージョンの記念モデルとして思い出すのは、他にも英国製のカメラのショルダーバッグをやはり限定版ひゃっことか作って、そこにハリネズミのマークをつけた。
サイン会などでお客さんからリクエストされて、サインの文字のほかに、ハリネズミのイラストをたくさん書いたこともあったな。お客さんで、当時はハリネズミがまだブームになる前であったので、あのオコゼを書いてくださいとか、例のイグアナを書いてください。などと言われたこともあったけど、私は別にそんなことでは起こりません。
我が家のハリネズミが昇天したのは、1988年の12月24日のことであるからもうずいぶん前のことになる。それでアメリカ海軍の例を習って。1台はすみだ川に流したのである。あれから何十年も経過したけれど、私が見る隅田川の流れと言うのは何となくハリネズミ臭いのである。
14:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:03:34.73 gqZQXQZR0.net
エルストライツ、カールツアイスも人間の名前です。それで日本の場合、田中光学と言うのに、私は結構近親感があって、30年位田中さんが作ったカメラとレンズを愛用しています。
15:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:04:01.31 gqZQXQZR0.net
1950年代に田中さんのライカはアメリカで結構売れました。カメラと望遠と広角が付いて、それでライカのカメラの標準レンズ付きよりも安いと言うところがセールスポイントで、アメリカの人はブランドに固執する事はありませんから、それで結構有名になりました。
16:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:04:52.44 gqZQXQZR0.net
田中さんのコピーカメラはいろいろなモデルがありますが、ただ1つエム型ライカと同じようにバヨネットマウントでレンズ交換ができるのがあります。ただし、ライカのバイオネットは爪が4本で田中さんのほうは3本ですから互換性はありません。
17:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:05:56.57 gqZQXQZR0.net
20世紀の初頭にアルフレッドスティグリッツからその天才を認められたポールストランドである。彼はスチール写真のほかに映画カメラマンとしても活躍していた。そして20世紀初めの頃にアメリカを代表するカメラAkeryで、仕事をするようになる。
18:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:06:24.58 gqZQXQZR0.net
その当時2000ドル近くする大金でフォードの車と同じ位の価格であったが、それをポールストランドはおばあさんから買ってもらったのだそうである。なかなか孫に甘いおばあちゃんと言うのは大切な存在だな。
19:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:06:57.90 gqZQXQZR0.net
写真家が好好宮35ミリムービーカメラの内側の工作の仕上げがあまりに美しいので、それに魅せられて結構いろいろなこの映画撮影機のライブを撮影したのは大変な成果だったと思う。
20:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:07:30.47 gqZQXQZR0.net
アメリカを代表するカメラではなくて、画像で紹介するのはフランスを代表するカメラである。その名前を亀フレックス16 35スタンダードというのである。フランスと言えば、ルミエールが初めて映画撮影技術を開発発明したところだから、やはり本家の本家であると言うことができる。
21:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/19 20:08:09.07 gqZQXQZR0.net
パリにあるエクレールというのが会社の名前であるが、戦後になってムービーカメラの表現様式でヌーベルバーグが登場した頃のラフな手持ちカメラによる衝撃的な1連の映像をよくこのフレックスで撮影した。
瓶フレックスが凄いのは35ミリの標準フォーマットのほかにアパチュアプレートを差し込んで16ミリのムービーに数分で交換できるというのが売り物だった。もちろんフィルムマガジンはそれようのものを使うのであるが、フランス人のけちくささが考え出したアイディアとも言えよう。
当然ながら使い方にはルールがあって、製造番号下3桁が合っていないと、この画面縮小用のアパチュアは他の瓶フレックスには使うことができない。
今の時代には私もiPhoneがあるから、35ミリのムービーカメラを取ろうとは思わないが、このアパラチアプレートの磨き上げた表面を見ていると大変ゴージャスな気持ちになるのである。
22:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 06:12:35.23 iB55925s0.net
スミレの花と言うのは、私の小学生の頃は野生のものがそこら中に咲いていたようである。身長が低いこともあるから、子供がすみれを発見するのは割と簡単なのだ。それでも自然保護の立場からちゃんと教育を受けていたから、そういう可憐なすみれを引きちぎって持ち帰るような馬鹿はしなかった。
私の知っているすみれの花の咲く名所と言うのは、赤羽3丁目あたりの東京の新川の下の構造さが、かなり現出しているあたりであって、そこに春の今頃になると、斜面一面に美しいスミレの花が咲くのである。あるいはすみれかの植物であって、他の種類かもしれないが、私は桜の花とチューリップの花の区別がつく位のレベルの植物学者であるから、そこはわからない。
しかし、私は、スミレの花が咲く頃の大根の花の咲いたのも好きなのである。買ってきた。大根を使って頭の部分を水に挿しておくと、どんどん葉っぱは伸びて青海に使うことができる位の成長である。そして可憐な大根の花が咲くのである。
スミレの花は大切だが、大根の花はもっと大切。そしてアボカドの花も大事。
23:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 12:53:23.05 iB55925s0.net
1966年以来、東松照明器具さんのファンである。写真家は最初ニコンエフをずっと使っていたのであるが、キャノンのスポンサーになってからこのような感じになった。1968年頃だな。
それでカメラ雑誌に写真家が登場して、我々はキャノンの一眼レフもちゃんとしたカメラであることを知ったのである。このレンズはキャノンが制作した。1番最初の19ミリのレトロフォーカスレンズだ。それ以前はニコンもキャノンもミラーアップした超広角レンズを使っていた。 20ミリ台の超高額レンズはニッコールよりキャノンの方がちょっと早かった。
1976年に当時暮らしていたオーストリアウィーンから夏の暑い盛りに東京にやってきたのはヨーロッパを巡回した日本人写真家の展覧会の準備のためだった。それで銀座のカメラ屋さんで19ミリのレトロポーカスレンズを発見して、1976年に36,000円と言う高いものであったが、東松さんに憧れていたので中古のそのレンズを手に入れた。ウィーンに戻って使ってみたら性能は全然ダメなので1回しか撮影はしなかった。当時のレンズの技術からすると、やはりレトロフォーカスより普通の19ミリがよろしい。
フィルム一眼レフの頃は、今はもう存在しない。カメラ雑誌でも写真家を雑誌の広告に起用していた。その関係で私もニコンとリコーカメラの見開き広告に登場したこともある。
24:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 15:11:15.59 iB55925s0.net
足掛け3年以上前に久しぶりに関東カメラに見学に行くので、川崎駅からではなくてわざと遠回りして名前を忘れてしまった何とか駅で降りた。そこには川崎市木月と言う地名であって、これは我々オールドカメラアクセサリー、愛好家にとっては忘れられない名前なのである。
日本のカメラに電気露出計が入る前の話であるが、この川崎市木月と言うところで露出計算尺が作られていたのであった。カメラ雑誌でも結構有名で、カメラ雑誌の名前は忘れてしまったが、サロン露出計と言う名前で販売されていた。カメラ雑誌の名前は確かフォトアートではなかったかと思うが、そこら辺はよく記憶していない。
30年ほど前に東京カメラクラブとかアルパ研究会と言うばかばかしい集まりを佃島でやっていたのであるが、その時一時的にブームでこのサロン露出計の話題で盛り上がったことがあった。このサイズが標準的なサロン露出計のスタンダードモデルであるが、それよりももっと小さくてアクセサリー、シューがつけてあって、カメラの上に乗せると言うことができるモデルもあった。
要するに、これは万能露出計算尺とでも言えるものであって、日中の光から月の光までありとあらゆる露出に適応しているのである。夜景等と言うのは撮影が1番決定しにくいものであるが、それも何段階か明るさがあって、銀座の一流店とそうでないところでは、同室に1段ステップに差があるとか、なかなか細かい展開となっている。
しかし、30年前のアルパ研究会の時代の時間軸で見ても、このサロン露出計はすでにできてから40年近く経っているのである。だから珍しいものであると言うだけの話題であって、これを実際に使うと言うカメラクラブのメンバーはいなかった。
大体30年前に話題になっているこの露出計算尺であるが、その頃すでにメンバーは中年であったから、それから30年経てば、ものすごい老眼になって、こんなに細かい文字が見えるわけもない。
25:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 15:50:07.67 iB55925s0.net
出雲の小池さんは物持ちが良いので、30年前の東京カメラクラブとアルパ研究会の合同例会の記念写真を送ってくれた。これを細かく見て面白いと思うのは、まさに30年前の記念写真であることだ。
その前の年だと思うが、スイスのSinarの会社に取材に行ってその時に、3代目のジュニアさんと知り合いになって、その関係でファーイーストのカメラクラブの例会に来てくださったのである。会社はシャッフハウゼンの郊外にあって、まさに村と言う感じのところだが、面白いのはエントランスのロビーに結構深い穴が彫ってあって、そこに競合他社の大型カメラが投げ込まれているのである。何かウクライナ戦争とかイスラエル紛争を思い出すディスプレーのやり方で、これはすごいなと思った。
同じ頃、フォトキナでルイジ・コラーニに頼んで、ジナー2000と言う未来モデルのデザインスケッチを依頼したこともあった。その時、フォトキナの会場でルイジ・コラーニにインタビューしたが、彼はイタリア語しかしゃべらないので苦労した。まずイタリア人でインタビューする時、こちらがイタリア語を話せないのが問題ではあるのだが。
100数十人の大集合写真であるが、撮影が誰だかわからない。30年前の記念写真撮影の天才と言えば、朝日新聞の下ジュネーブ支局長の柳沢さんが非常に有名である。カメラをセットして大集合写真の時に、あそこの柱から外側入らないなどと言って列を詰めさせるのであるが、自分でカメラを後ろに引くことをしない。大写真家なのである。
フラッシュバルブ壱発で撮影されたと思えるのは、奥のほうの人々に光が当たっていないから、顔が真っ黒なことで、誰が誰だかわからない。昨年末に昇天なさったnakayama蛙さんも私のヒゲも真っ黒だ。これが30年の時間経過だと思うと説得力がある。写真と言うのはすごいね。
26:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 15:51:12.67 iB55925s0.net
アルパ研究会は私が佃島に住み始めた頃に同時にスタートしたのだから34年前になる。あの頃はスイス製の高級一眼レフが当時のアメリカに特に政府関係が使うので大量に輸出された。それが何十年か経過して皆壊れた時当時に日本に再輸出されたのである。だから当時のアルパカメラは壊れているのが普通だった。
最初は銀座のバーなんだけど昼間は喫茶店で営業しているところに数人が集まってアルパの馬鹿な話を開始したのがその発端である。でもこれは長時間居座る嫌な客で営業妨害になるからと言うので改めて地元の佃島に場所を用意してアルバ研究会をスタートした。
1時は100人ぐらいのメンバーがいたがその中にはなかなか素晴らしい人がいてあの複雑なアルパカメラの修理ができるようになったのである。アルパ研究会と言う名前で毎月盛り上がっていたがその日アルコール研究会のようになってしまった。
アルパは大きく分けると1947年に登場した最初のモデルと50年代半ばに登場したセカンドモデルと、その後に登場したモダンなモデルの3つの時代があるのでそれぞれに派閥がある。それで派閥の争いにならなかったのはたいしたものだと思う。
^_^私が好きなのは2番目のモデルの時代のアルパカメラである。スイスの古い電気機関車のようなスタイルをしているところが素晴らしい。スイスは時計とかチョコレートで有名だけど私に言わせればアルパカメラ。それとNagraの録音機もあったな。
この時代のアルパカメラはもちろん数が少ないけどそれよりもレアなのがご覧のようなその当時のエバレディケースである。トップカバーをかぶせると全体が丸っこいスタイルになってそれがなんともキュートである。それとこのエバレディケースの皮の材質なのだけれども同じ時代にスイス軍が使っていたバッグのレザーとほぼ同じクオリティーなのが非常に面白い。
エバレディケースをつけた状態では望遠レンズとか大きな広角レンズは使えないからこのように50ミリの小さな標準レンズをつけることにしている。
27:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 15:55:04.18 iB55925s0.net
ロッシオ駅の裏手の、バイロアルトに向かう、ショートカットの階段である。
この階段の上に、1947年から1991年まで、中古カメラ店があった。
鰯を焼くレストランと、ファドの店に挟まれた、中古カメラ店というのは、存在そのものが、「サウダーデ」である。
例によって朝5時まで原稿書き。
このライフサイクルが定着しつつある。
実際には朝4時55分にインコのライカが起床する(止まり木に居るので起床は変だけど)するので、ライカにその世話をしてから寝るわけなり。
起床は12時。
風は乾燥しており爽やか。
例の如く、執筆。その間に岡山の長徳固執堂に保管(展示ではない点に注意)する荷物を2個出す。
宅急便だと25キロまでの荷物が2千円で出せるという。普段、アメリカや欧州からフェデックスで重いカメラを送っている身にしてみれば、夢のような値段だ。
25キロを100個送っても25万円なのである。
当面、長徳固執堂に保管のカメラ、資料はこれで送ることにする。
夕刻、近所を散策。カメラは持たず。
昨日、今回の撮影したモノクロネガの上がりを、野々宮車内に忘れて来た。それでネガのセレクト出来ず。
土曜に野々宮、持参の予定なり。
夕刻にまたベランダでシュタイナーのM22双眼鏡で夕暮れの羽田空港の着発を観察する。
午後8時から11時まで眠る。
メデイアジョイの連載「温故知新」の最新の原稿を昨日送ったのだけど、今日見たらすでにアップされていた。その速度驚くべし。
毎日新聞のカメラマンがイラク取材の戻りに拾った爆発物がアンマン空港で爆発し、空港のデキュウリテイが死亡。
手榴弾を機内に持ち込むとは常識以前の話だ。
先週、パリの空港で、持参のスワロフスキーのハリネズミのクリスタルグラスが、爆弾に間違えられた顛末を想い出した。
アサヒカメラの次号で、M42マウントレンズの特集で、愛用のレンズ10本のリストを提出したが、そのうち、マクロキラー40ミリ、シャハトトラベゴン40ミリ、ビオメター80ミリのレンズの重さをサイズを実測に、明日アサヒカメラの編集の人がアルパ研究会の席に来ることになった。
仕事は言え、ご苦労なことなり。
28:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:27:55.02 iB55925s0.net
パワーブックG4のバッテリーが新しくなったので、実に快適になった。
必要なのは、使わないカメラよりも、新しいバッテリーだ。ここに生活の真実がある。
プラハのパベルよりメールの返信あり。今週は南フランスにTVの仕事とか。
29:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:35:23.13 iB55925s0.net
東京の佃島で暇人が集まって全く売れなかったスイス製の一眼レフアルパカメラの同好会を作ったのが30年以上前でそれが解散したのが20数年前である。もうその事は誰も覚えていないから、忘備録として、ちょっと書きつけておきたい。
その当時の日本の中古カメラ市場では、アルパの一眼レフなんてだれも欲しがらないし、大抵壊れていたので、我々が研究会を作ったら壊れたアルバを大量に押し付けられることになった。そのうちアルパの研究が進んで自分たちで分解して修理できるようにまでなったのだからすごい。
何十年もこのスイス製の鳩時計みたいなカメラを使っていて考えるに1番使ったのはこのモデルだと思う。これは第二ジェネレーションと呼ばれているモデルであるが、そのスタイルが好きなのだ。
よく例えとして描くけれども、1950年代のスイスの電気機関車のようなスタイルと言うのである。実際にこれによく似た存在感の電気機関車というのが、大昔はスイスで走っていた。
アルパの会社は自分ではレンズを作らないから、全部外国のレンズメーカーに頼っていた。広角レンズのほうはフランスパリのアンジェニュー24ミリと28ミリである。別に素晴らしいレンズと言うわけではないが、レトロフォーカスの世界で1番最初に作られたレンズであるから、そこに性能うんぬんと言うのはもともと無理である。
これはアンジェニューの28ミリだけど、Exaktaマウントであるから、自動絞りの連動する位置が120度ずれているのであるが、別に使用上は何の問題もない。それをマウントアダプターでアルパに付けている。
アルパはどんどんモデルチェンジして、1番最後の頃の製品の専用のレンズと言うのはペンタックスのたくまレンズであった。そこら辺がなかなかレンズのことがわかっていたカメラメーカーだと思う。
30:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:36:26.64 iB55925s0.net
アルバ研究会の頃
3十数年前の佃島でスイス製のアルパと言うヘンテコリンな一眼レフを愛好する怪しい集団があって、毎月1階秘密結社を開催していたのであるが、10年ぐらいやってもこういう馬鹿は充分であると言うので自主的に開催したのであった。
メンバーの1人がアルパの専門の研究書籍を出したり、テレビ取材が入ったりして何が何だかわからない。このてんやわんやの10年間は思い出すとなかなか楽しかった。会費1000円ずつ出し合って向かいのスーパーに買い物に行って大宴会をやるから、当初は、アルパ研究会あったのが知らない間に、アルコール研究会になってしまった。
まだネットオークションなどが登場するずっと以前の話でメンバーが持ち寄った不良品ではなかった不用品は非常に安い値段が付いていて、ジャンケン大会で勝った人がそれをゲットすると言う原子共産制みたいな資料流通がそこに存在したのであった。
当時はアルパカメラと言うのは、銀座のカメラ屋さんの厄介もので、そういう背景から壊れたアルパカメラが作った時間に吹き寄せられて自然発生したと言うことになる。
手先の器用な連中もいるから、だんだん修理に慣れてきて壊れたアルパカメラは自分たちで治せるような共同体になってしまったのが今にして思うと不思議である。アルパのモデル10というのがあって、このファインダーが不思議なほど真っ暗でよく見えないのである。それでメンバーがいろいろ知恵を絞ったがなぜ暗いのかがわからない。
それで理解できた事は、ファインダーのコンデンサーのレンズが上下逆さまに間違って取り付けられていたのである。逆さまに組み直したら明るい画面になった。
会員数が120人ぐらいになったりして、これは何とかしなければいけないと思っていたら、Retinaハウスの経営者の望月さんと言う人は冷酷な独裁主義者であるから、毎月一定の日に開かれるアルパ研究会の日にちを中心のメンバー以外には教えないで大粛清を行ったこともあった。ここら辺の独裁者のやり方は冷酷で私などはなかなかできないのだが、さすがクレムリンの上に立つような人は凄いなと感心したことであった。
31:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:37:09.08 iB55925s0.net
アルパカメラの存在感
ゴールドカメラというものがある。1つのジンクスだと思うのだけど、カメラメーカーがゴールドカメラを出すと、その会社はやばいと言うような感覚が、我々カメラ人類の間にはある。
アルパカメラは最初のモデルが1947年に登場して、それから50年位は存在したのだから、カメラメーカーとしては長く頑張った方だと思う。それで一定数のゴールド仕上げの一眼レフを出しているのだ。
ゴールド仕上げで1番間違いをしたのは、日本のカメラメーカーでペンタックスとかコンタックスの一眼レフもそうであったのだけど、霧の箱に入って、カメラを触るときに白手袋が必要であろうと言うので、それが付属している。要するに、化粧品扱いの考え違いの方向なのだ。
それに対してゴールドのアルパは実際にかなり使われた痕跡があるから、カメラ人類はこのカメラをちゃんと理解していたことになる。問題なのはゴールド仕上げに対するカメラ本体のレザーの色のコントラストなのだ。ゴールドに対してレッドとかグリーンのレザーになると、いかにもけばけばしくて品格が失われてしまう。
それに対して、このモデルは、グレーのレザーを使っているところが非常に品があって気に入っているのである。
もう一つこの時代のアルパカメラうざっには、面倒なところがあって、ネックストラップアイレットと言うのは別のアクセサリー部品でそれをねじ込むようになっている。これが数が少ないので、最近はもうほとんど見かけないが20年前ですらネックストラップ、アイレットの金具が2つで20,000円以上すると言う馬鹿な値段であった。そういうものを手に入れる我々の方にも責任があるのだがね。
32:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:38:00.02 iB55925s0.net
スイス製の高級一眼レフカメラアルパであるが、1947年に最初のモデルが作られた。このカメラのもともとはスイスの時計メーカーの下請けをやっていた会社がカメラを生産したと言う伝説がある。
戦前にジャガールクルトの会社がコンパスと言う高級カメラを出したこともあった。それで時計メーカーが作ったカメラに共通して私が感じるのはこれは時計であると言う存在感が非常に強烈なことだ。時計ではあるのだけれども写真を撮ることもできます。と言うような微妙なものの、属性のバランスに両足をかけているようなところがあって、それがこのカメラの魅力である。
実際にアルパカメラの初期モデルを操作してみると、古い懐中時計のネジを巻いているような指先の感覚がそこに蘇るのである。初期モデルの方がなかなか我々カメラ好きには気に入ったところがあって、例えば一眼レフのミラーはクイックリターンではなくて、上がりっぱなしになるなどと言うのも品格が高いと言う気がする。
オリジナルはオランダのオールドデルフトの50ミリが付いているのであるが、他に交換レンズがなかなか見当たらないので、25年位前に友人に頼んでレンズマウントアダプターを作ってもらった。ペンタックスのレンズが全部この初期のアルパに使うことができる。
ところが、そのレンズマウントアダプターの食いつきが、ちょっと甘いので、頭の悪い私はカメラボディをアロンアルファで固定してしまったのである。こうなると、地球の実験軸と同じことで、絶対に動かしたり外したりすることはできない。
それでも風の少ない純正アルパマウントレンズよりもレンズマウントアダプターは外れないけれども、そこら中にあるタマーレンズとかエム42のレンズを使えるようにしてあった方が、実際問題としては現実的なのである。
この時代のカメラはネックストラップアイレットがついてないから、エバレディケースに入れて使うというのが常識になっているが、これがまたエバレディケースが単体で数10,000円すると言うような我々の足元を見たひどい商売が行われている。
私の友人で、カメラに関しては、かなりお若いのにレベルの高い人がいて、その人が私のためにホームメイドのエバレディケースを作ってくれた。皮肉なことにアルパのスイス製のオリジナルのレザーケースよりも、その作り込みのレベルが高いので素晴らしい。
33:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/20 16:39:26.26 iB55925s0.net
今はもう存在しないカメラ雑誌の取材で、ドイツはケルンのフォトキナ2970年代から30年近く通ったわけである。現地レポートで新製品のカメラを拝借して撮影することもあったが、当時の新製品は全部デジタルカメラではなく、フィルムカメラであったと言うのも何やら感慨深い。
スイスの最高級一眼レフカメラアルパカメラが資本が変わって新しいセミ版を出したのでそれを取材に行った。その小さな会社の社長さんが冗談で作ったのがアルパカメラブランドのピンホールカメラなのである。カメラコレクターで特にアルパカメラのコレクションをしている人は、このカメラは限定版であったから、買い逃して今になって残念がっているのだと思う
確か学研の付録みたいなボール紙の組み立て式であってピンホールである。それでケルンのカメラ屋さんに1本だけモノクロフィルムを買いに行って撮影した。ストリートスナップを取るわけにはいかないから、心がけるんだという意味で、大聖堂とローマ時代のコレクションがあるミュージアムのエントランスを撮影した。
この当時のケルンと言うところは、ローマ帝国の最も北の部分に位置する植民地であったからだ。半世紀以上にわたって、ずいぶんたくさんのカメラを使ったが、ピンホールカメラを使ったのはそのうちの貴重なワンショットと言うわけだ。島根の出雲に在住の写真家の小池さんが、私のカメラジャーナルのバックナンバーをコレクションして、時々Facebookでアップしてくれるのでありがたい。
34:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/25 10:27:30.07 rqhcb3ex0.net
超とっく
スレリンク(mnewsplus板:56番)
35:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/26 14:57:24.96 PEalL/ot0.net
アルパ研究会の思い出が懐かしいですね。
M月さんの恐怖政治は、不穏な動きをするブルジョワ的反革命分子を排斥する意味において、アル研という組織を守る為には必要だったのではないかと思われます。特にあの時期は色々ありましたから。
36:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/27 08:00:17.71 X9/Jmrv/0.net
ニフティフォーラムからですね。
初期は平和でありましたよ。
37:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/28 10:22:26.83 0FIV7xB70.net
アルパ「香港フラワー」という写真集出した人をスゴく馬鹿にしてた爺さんいましたね。
「あんなの犬でも撮れるわ!」と酷い言い様でしたよ。
38:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/29 01:10:33.25 8F2DqmcA0.net
アルパ研究Y縣さんね
某カメラ倶楽部では人気者ですよ
過去にばっかりこだわる愚か者はさっさと消えなさいなww
39:名無CCDさん@画素いっぱい
25/04/30 08:33:19.30 D9ItapHO0.net
アル研かぁ
懐かしい
もう鬼籍に入られた方も多いもんな
良い意味でめちゃくちゃな時代であった
そういえばピューリッアー賞取った長尾靖氏が孤独死で無くなった時、あの爺さんが「アイツが賞で貰った黒のM2とレンズはどうなった!?」と騒いでたわ。
40:名無CCDさん@画素いっぱい
25/08/10 17:59:38.41 E8a7zScs0.net
アルパ研究会 なつかしいですね
41:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/13 18:38:39.31 eO1WgYNf0.net
いつの間にかリバーサイドシティから五反野のアパート暮らしになっていたんすね、チョートクさん。
42:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/13 18:40:49.19 eO1WgYNf0.net
東京都足立区西綾瀬2丁目22 メゾンドユキ西綾瀬
43:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/24 22:07:06.68 Xu27ICRY0.net
70過ぎの賃貸引っ越しかあ。
44:名無CCDさん@画素いっぱい
25/09/25 08:01:49.00 3SKJd1Ke0.net
ワロタ
45:名無CCDさん@画素いっぱい
25/10/11 08:44:18.46 wZuN22o60.net
家賃65,000円か笑
46:名無CCDさん@画素いっぱい
25/10/20 10:19:56.22 7ltZp4FP0.net
南田神田いっても写真は上手い(上手い時もあった)
47:名無CCDさん@画素いっぱい
26/03/09 08:45:24.21 ooGcYt8V0.net
チョートクさん元気ですか?
48:名無CCDさん@画素いっぱい
26/05/04 12:29:51.62 ht9wDoSG0.net
フェイスブックに出没してるね