23/02/01 02:26:28.98 47yplVPDM.net
>>298
では、こう考えてはいかが?
「ボケは表現の一つであって技術ではない」
確かにボケを出せるカメラやレンズは表現豊かで、撮影者の意図によってレンズを絞ってボケにくく表現したり逆に開放近くで撮影してポワポワに背景がボケた画にもできる
もちろん確かにこのようにボケを活かした/活かさない撮影を選択するのはある種の技術かもしれないが、あくまで表現の手法の一つであってボケるからそのカメラマンに技術があるというのは間違いだと思う
じゃ、ボケは正義か?といわれたら、そのカメラマンにとってボケが強い機材を使うことで表現できる幅が広がるならば正義
逆にボケにくい機材を使ったほうがそのカメラマンにとって表現の幅が広がるならボケは邪魔者以外の何者でもない
被写界深度が浅い事で被写体と背景の対比が生まれ、立体感ある画にはなるが、主となる被写体の奥か手前に脇役となる被写体があり、それが鮮明な方が画的に良いのかあるいは逆なのかでボケの価値は変わる
報道でもよく見てみると、事件や被疑者逮捕などの映像は極力ボケは作らないようにしているが、どこかの観光地で見頃を迎えた風物詩を紹介する映像では時折ボケを活用したシーンを交えていたりする
なのでボケはあくまで表現の一種。正義か悪かはその時によるし、明確な答えはない