15/08/03 07:54:47.42 .net
表現がアレゴリーだった場合、人はそれを面白く感じますが、逆も言えますね?
つまり面白いと感じた時、そこにはアレゴリーがあると。
もちろん全ての面白さがアレゴリーに由来するわけではありませんが。
そうしますと、アレゴリーというものは知的に創造することも、
感覚的にも創造することもできるといえます
単に面白いさの感覚だけを追って作ったものが、アレゴリー的な奥深さを持つ、
ということはあり得ますし、実際に沢山あると思います
感覚的に作る方が、芸術家的かもしれません
しかし重要なのは、自分の感じた面白さを遡るということではないでしょうか?
それが何のアレゴリーかを知るべきだし、そうした時にもっと面白くできると思います
またこれは鑑賞においても言えることで、
他人の作品を鑑賞して面白いと思った部分をアレゴリーにまで遡り、
それを再具現化したとしたら、それはもう立派に別の作品足りうると思います
アレゴリーというのはおそらく繰り返し別の形で表現されることを欲しているからです
以前はおもしろさの構造を抜き出して再利用しようと考えていましたが、
これは良心に反しました。あまり意味があるとは思えなかった。
しかしアレゴリーにまで遡り再具現化する方法は、意味があると思います