14/07/10 16:41:28.04 .net
純文学は明治以降貧困をベースに
西欧文明との葛藤、家父長制の下での父子の確執、
大戦後は、戦争体験や共産党活動・学園紛争・在日差別・沖縄苦難
などのシリアスな主題に恵まれ日本独自の地位を確立してきた。
第三の新人の頃の盛り上がり、エーゲ海僕って何・W村上・クリスタルばなな。
春樹と田中と吉本は芥川は取っていないが。みんな読んでみたが素晴らしかった。
(むしろW小娘の受賞と、川上未映子の受賞が、近年では一番良質だ。)
その後ついに豊かさが蔓延し、文化が紊乱し、情報が瞬く間に行きかう世界となった。
描くべきシリアスな主題を喪失した純文学は、キチガイを描く道にある意味
必然的に逃げ込んだ。しかし明治以降初めて、インテリ読者層の共感を失った。
俺は年上のお友達から同人誌を頂くこともあるが、東大早慶出ていても
中央文壇に行けない人たちに共通しているのは「キチガイは描かない」ことだ。
それは矜持であり見識であり良心でありプライドである。
キチガイを描くというプライドを捨てたゲスが、文芸春秋社員や川上弘美のような
キチガイと波長が合い、芥川賞というマスゴミ宣伝が付いてくる下劣な「その場
限りのスポット」が当たるエセ名誉を得ることになる。それだけだ。
エセ名誉と言いきるのは次回作以降が全く売れないからだ。実力が無い。
これでは、エセ名誉とはっきりと断言せざるを得ないのだ。