12/09/24 08:45:50.97 .net
>>61
50です。
技術的向上を期待して読んだんじゃなくて、谷崎と三島が好きだから、普段の読書の延長で読みました。
わかりやすいように「方法・理論」とか書いたけど、確かに鑑賞する方に重きを置いた本です。(三島は、よい鑑賞の仕方を知る事がよい文章を書くための必要不可欠な要素だと言っていますが……)
それで、難癖をつけるわけじゃないんだけど、今言っているのは小説の文章の話で、小論文の文章ではありません。
すくなくとも僕は小説と小論文の文章は違うと思います。
小論文の文章には、ある程度、正しいとされるものがあって、それを知るのは大事なことでしょう。
しかし小説(芸術)は違う。
たとえばの話ですが、「絵の書き方」の本を読んで、ピカソのような絵が描けますか?
同じように、「文章の書き方」の本を読んで、?外のような文章が書けますか?
結局のところ、芸術に必要なのは、自分の感性でしょう。
小論文ならいざ知らず、小説の文章では、特にそうだと思います。
もちろん文章読本が無駄とは言いませんが、38さんは文章読本を読まなければ文章を味わうポイントもわからないとお考えのようなので、色々書きました、悪しからず。
取り急ぎ書いたので、論理や文章が雑になっているかもしれません、ごめんなさい。
予備校行ってきます(笑)
68:名無し物書き@推敲中?
12/09/24 08:46:31.49 .net
>>67
安価間違えました、>>66です
69:名無し物書き@推敲中?
12/09/27 21:06:09.05 .net
1です、お久しぶり。
連日の海外サッカーにおける日本人祭りに夢中で、
毎晩のように夜なべ……げふんげふん!もとい勉強に大変で、
しばらく振りです、ごめんなさい。
まず、向井敏の「文章読本」読んでみたんだけど、
忌憚のない意見を述べると、正直、得るところは少なかったかな。
この文章は良い、或いは悪い、という価値判断を、
主観的な賛辞または罵詈で下しているだけで、なぜ良いのか、
なぜ悪いのか、また、良い文章だとしたら、どうしたら良くなるのか…、
といったところまで踏み込んでいないように感じた。
「文体とは何か」、「文章感覚とは何か」といった、
いかにも大上段な主題に対して、その説明の責任を果たしていないというか、
主題に対する結論が示されず、或いは引用した文章そのものが結論、
といった感じで、不全感を抱かずにはいられなかったかな。
日々、現代文の問題文のような、明確な論理の通った、
起承転結のある文章を読んでいるところの受験生にとっては、
正直、不完全燃焼と言わざるを得ない。
あくまで、良質で、幾分か癖の強い文章ガイドといった印象。
少なくとも、これを読まずして文章を語ることが出来ない、
というほどのものではないように思ったのだけど、どうだろう。
70:名無し物書き@推敲中?
12/09/27 21:21:18.64 .net
これを踏まえた上でレスお返しします。
>>63
おっしゃる通り!
>>38さん
ビジュアルには多少の自身が……げふんげふん! 失礼。
上述のように、あまり得るところのなかった読了感なのですが、
ただ、「文章読本」なるものに対して向き合うに当たっての態度、
というものがよく分かっていないがためではないかとも思いました。
38さんは、「文章読本」を読み、消化するに当たって、
どのような視点を持ち、どのように消化するべきだとお考えですか?
基本的なところから姿勢を正して、向井著のそれを再読するなり、
その他の著者のそれを読んでいきたいと思うのですが。
名文に対しては、一家言あるのですよ。
ある文脈においては凡庸に過ぎない一つの言葉が、
たちまち異色の光彩を放つような別の文脈を用意する、
これが私に通底する文章の美学です。
71:名無し物書き@推敲中?
12/09/27 21:36:40.78 .net
言い換えると措辞の妙、かな。
とにかく私の作文上の美学は、とりあえずこれです。
>>50さん
私も基本的には同意見かな。
ただ、「文章読本」というものが、もしかしたら文章を読む上での、
凡人には到達しえない観点を与えてはくれないか、と期待もするのです。
ピカソも若いころの作品を見ると巧緻なリアリズムを湛えたデッサンを残している、
っていう有名な話もあるし、基礎があって感性を生かせるというのも、
あるんじゃないでしょうか。
でもまあ、やっぱり基本的な考えは50さんと同じかな。
「こういう事を考えてる十代」、私も嬉しいです!
50さんの文章、読んでみたいかもです。
72:名無し物書き@推敲中?
13/03/17 15:43:41.34 .net
大江は、ぐだぐだしてるようで、一行目からさっと
読者をひきこむにゃー
ひきこみさえすれば難解でもひとは頑張って読むにゃー
興味を持たせる、それはキャラとかそういうラノベ作法ではなくて、
あっ、どういうひとが書いてるんだろう?とか何こいつ?という部分
73:名無し物書き@推敲中?
14/01/18 13:21:57.16 .net
オーストラリア先住民のアボリジニは永きに渡り、レモンマートルを料理と薬草のいずれにも用いてきた。オイルにはレモングラスを超える高純度のシトラールが含まれ、レモングラスやアオモジ(Litsea cubeba)以上の強い清涼感の芳香を有する
レモンマートルを用いたハーブティーの例[3]
レモンマートルは既知のブッシュ・タッカーの香料として、しばしば
“レモンハーブの女王”として用いられ、その新芽には甘味もある[
74:名無し物書き@推敲中?
14/07/22 09:58:09.86 .net
>>1はもういないだろうけど一応書いておく
遠藤周作の友人だった大学の教授からの又聞きだが
彼はまずプロットを仕上げてからひたすら表現に五感を練りこんで書き直していったそうだ
どこまでやるかは書き手のセンスの問題だろうけど
75:名無し物書き@推敲中?
14/07/22 12:59:05.64 .net
1は初期作品読んだことないのか? 受賞できるに決まってるわボケ。
作家としての好き嫌いはその後の話だ。
76:名無し物書き@推敲中?
14/07/22 16:25:12.99 .net
大江なんか赤川次郎にくらべたら…
77:名無し物書き@推敲中?
14/07/22 17:57:10.77 .net
大江は既成左翼丸出しの政治的発言をしなけりゃ、いい作家だと思う
陳腐で論理性のない発言を見聞きすると、がっかりして作品を読む気が
失せるんだよな
78:名無し物書き@推敲中?
14/08/04 00:12:43.20 .net
文学は19世紀20世紀でほとんど食い荒らされた。
もしもう一度大江に匹敵する人間が現れたとしても、その人は大江「モドキ」としてしか扱われないよ。
思い出には勝てない。
79:名無し物書き@推敲中?
14/08/04 01:22:50.41 .net
大江と赤川次郎だったら赤川の方が儲けてるんだろ?すごい世界だよな、文壇て。
80:名無し物書き@推敲中?
14/08/04 09:42:54.97 .net
そりゃAKBとジャニーズが席巻している音楽業界みたいなもんだから
大江を読んでおもしろいと思うのは限られた人
81:名無し物書き@推敲中?
14/08/15 23:25:19.34 .net
滝沢馬琴が松本清張賞へ応募したら最終選考まではいくよな
82:名無し物書き@推敲中?
14/09/04 16:17:20.17 .net
大江は戦前に帰化というか 勝手に住み着いた朝鮮人
ですから
83:名無し物書き@推敲中?
14/09/05 18:56:04.13 .net
ごめんにゃ
添削じゃないけど、
>>21さんの文章がきわめて文化的だと思って興味がわいたので、
理系的に書いてみたにゃ(改行がおかしいのはごめん)
*******
僕が小説を執筆するにあたって、まず三島由紀夫の「仮面の告白」に重点を置いた。
異様のモノローグ、比類のない美文の極致に、魅せられ、心酔したからである。
しかし、それは三島の才能を持たざるが故の憧憬であった。
正直に告白する。三島の志を文体の中に読み取り、模倣することによって自分の凡庸に過ぎる自我意識を秘匿しようとしたのだと思う。
僕の心の中に三島の美文について様々な言い訳が存在する。
とにかく、僕は三島の流麗なレトリックの秘奥を模倣しようとして果たせなかった。
****
理系って、何を伝えるのかを明確にして、要点だけに絞ってしまうんですにゃw
やっぱり、私には、純文は無理だとわかったにゃw
84:名無し物書き@推敲中?
14/09/06 00:04:43.21 .net
大江さんの若いころの作品に『日常生活の冒険』という怪長編作がある。
これはエンタメ系小説として、もの凄い秀作だ。
だから別に「今風」を書こうと思えば書けるんじゃない?この人。
作家の技術を馬鹿にしてはいけない。というか、生まれつき書ける人だよ。
なんでこの路線で行かなかったのか大変残念だ。
小説と評論は分けて活動すりゃ良かったのにね。
85:名無し物書き@推敲中?
14/09/06 17:19:48.99 .net
しかし、作家って嘘を描こうとしてもどこかにその人物の地が出るよな。
大江の場合、自分の醜い正義を貫こうとして自己弁護の言葉が塗り重ねられる、
薄汚い売国奴のにおいが漂ってる。
86:名無し物書き@推敲中?
14/10/30 15:50:33.03 .net
age
87:名無し物書き@推敲中?
14/11/25 18:57:12.64 .net
>>21-22を今風に直すとこんな感じかね
僕が小説を執筆するにあたって拠り所としたのは、三島由紀夫の「仮面の告白」であった。
文学史に屹立する美文の極致に、魅せられ、心酔した。
だがそれは、持たざる者の他愛ない憧憬であった。
いや、より正直なところを告白するなら、
三島の美文に、凡庸に過ぎる自我意識、創作をする上でのいくつかの命題を、秘匿しようとしたのだ。
その命題とはいったい何なのか、それは、またの機会に語りたいと思う。
とにかく僕は、三島の流麗なレトリックを縁取るようにして、紆余曲折を経て、
歪な―あまりに醜く、歪な― 一つの円を書き上げたのだった。
僕は重大な秘密を打ち明けるかのように、読書家の友人Aに自慢の一節を読んでもらった。
「大江健三郎みたい。難解すぎて現代の文芸思潮に合ってない」
Aの評価は否定的なものだった。
恭しく拝聴する表情を繕いながら、僕はひどく、本当にひどく、失望を感じた。
僕にとって大江健三郎は悪文の象徴であり、三島的美文の対局を成すものだった。
僕の美文への幻想は、Aによって、かくも容易く打ち砕かれた。
しかし、こうも考えた。なぜ「大江健三郎みたい」だといけないのか。なぜ難解であると駄目なのか。
確かに、近来活躍する小説家の文章は、押し並べて平易なものだ。
本当に現代の文壇には、持って回った難解な文章は通用しないのだろうか。
その答えを問うべく、僕は、いかにも難解な文章を好みそうなイメージのある、2chの住人に意見を乞うことにした。(完)
こっちの方がすっきりしていてまとまりがあるよね
表現は盛れば盛るほど、荒が目立ちやすいから、よっぽどの才能じゃないと通用しないんだろうな