11/11/16 20:34:42.70 .net
この通りには、名などあるものだろうか?
初夏の闇に一人、山田有馬(やまだ・ありま)は足元を確かめるように歩いていた。
月明かりさえ望めないこの闇の中を歩くことすでに数分。暗がりに慣れた瞳にはボンヤリと、今歩く通りの輪郭が
伺えている。
半畳ほどの石畳を隙間なく引きつめた道路と、何らかの意匠を施した外苑の緑達は明らかに第三者の目に映ることを
意識して作られているように思えた。
細かな隆起に富んだ石畳の足元と視界を覆う木々の緑―甚だ『機能的ではない』道路ではあるがしかし、
こうして「眺めること」を意識して歩くのであれば、なかなか粋な造りであるようにも思える。なのだとしたら
そんな通りには、それに見合った呼び名のひとつもあるのかも知れないと思ったのだ。
今までは意にすら介さなかったことである。
ならばなぜ、今に限ってそんな事へ意識を集中させたのか? 理由は今歩くこの道の先―自分の数メートル先を歩く
男の存在であった。
もちろんのことながら、彼のことなど知らない。その名も然り。しかしながらその後ろ姿には、その背から
陽炎の如き立ち上がる気配には確かな覚えがあった。
それこそはむき出しの殺気。『獣臭』といってもいい。
己の肉体のみを頼りに置く者。筆舌に尽くしがたい研鑽を重ね、その体を武器と化すことにより得られる
『強さ』―それを得ることはさながら、獣を一匹、肉の内に宿すことと似る。