10/10/18 16:09:40 .net
となれば、当然エドゥアルド・ガレアーノ「火の記憶」を取り上げる。周知の通り、
ガレアーノはジャーナリストして、収奪された側からの告発を書いてきた作家である。
「火の記憶」にはラテンアメリカの先住民の創世神話から、白人の入植の悲劇までが三部作で書き積み上げられている。
一冊につき500頁を超える大著であるが、断章形式のそれは読み手を飽きさせる
ことはなく、神話の世界を読み聞かす。そう、「読み聞かす」のだ。まるで賢者の様な、
すべてを見通す語り口は諦念と紙一重で、断章形式の作用を余すことなく発揮している。
ラテンアメリカの大地の豊満さと、ゆえの悲劇を、悲劇ならざる語り口で
表現するのには、その形式でなければならない理由を、確かに保持しているの。
ガレアーノの叙事詩性の前に、あるいは足穂の奇想の前に、「小説を一冊も
読まずして書いた」事など、何の酌量にもならない。せいぜいが、気取りと
ハッタリが横行する現在の日本文芸界の、悲(喜)劇のペープサートしての
価値しかない。