23/03/15 08:55:39.54 .net
維新もこれで成長したもんだからな
次に弱者とはどうあるべきかという点では一般にリベラル派は、とくにマルクス主義の伝統に親和的な見方をしてきたように思われる。弱者とは搾取されるばかりの存在でありしたがって連帯し、運動し集団として権利を主張しなければならないとする見方だ。
こうした見方はしかし「ダメな人」を力づけるものではない。そこでは弱者がもっぱら搾り取られる側の存在として規定されているからだ。またそもそも「横並び」が苦手な「ダメな人」たちに連帯するよう説いてもあまり現実的ではないだろう。
たとえば辺野古をめぐる騒動のきっかけとなったのは、米軍基地建設反対運動の現場で「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」と彼がツイートしたことだった。
彼がそうした行動に出たのはリベラル派の「弱者リスト」に含まれる戦争被害者としての沖縄の人々が、運動するポーズを取っているだけの「偽の弱者」にすぎないという見解を示したかったからだろう。
彼は断固として態度を変えようとしなかった。彼がそうした行動を取ったのは特定の「弱者の論理」をあくまでも押し通そうとするリベラル派の「強者の論理」にあくまでも対抗するという姿勢を示したかったからだろう。
それらの行動はいずれも彼に「いいね」を贈った28万もの「真の弱者」の階級闘争が、その背後で繰り広げられていることを意識してのものだったのだろう。
こうしたひろゆきの振る舞い方は弱者の味方をして権威に反発することで喝采を得ようとするという点で多分にポピュリズム的な性格を持つものだ。
しかもリベラル派のメディアや知識人などとりわけ知的権威と見なされている立場に強く反発するという点で、反知性主義的な傾向を持つものでもあると言えるだろう。
実際、彼のライフハックはその自己改造論にしても社会批判論にしても自己や社会の複雑さに目を向けることのない安直で大雑把なものであり、知的な誠実さとは縁遠いものだ。
しかしその支持者には彼はむしろ知的な人物として捉えられているのではないだろうか。というのも彼の反知性主義は知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく従来の知性に対して新種の知性すなわちプログラミング思考をぶつけようとするものだからだ。
URLリンク(websekai.iwanami.co.jp)