司馬遼太郎をあれこれ語る 38巻目at BOOKS
司馬遼太郎をあれこれ語る 38巻目 - 暇つぶし2ch747:無名草子さん
23/04/24 06:09:45.46 .net
>>746
武田鉄矢のレベル

748:無名草子さん
23/04/24 06:52:14.33 .net
>>747
そういや武田鉄矢と小山ゆうの漫画コミックでの対談で司馬ネタがあったな
記憶にある限りだと、
・高知県民はもともと龍馬信者がガチで多いが司馬の小説以降はもっと増えた
・集団就職も龍馬にならって東京を目指す、とにかく龍馬にならって東京を目指す奴が大量にいた
・竜馬がゆくの竜馬暗殺を「交通事故みたいなもの」と書いた司馬に関して武田と小山が苦笑

749:無名草子さん
23/04/24 08:29:39.95 .net
司馬の読者は坂本が桂小五郎より偉大だと思ってる馬鹿が多そうw
坂本竜馬の功績なんて木戸がほとんどやったことだよ。

所謂薩長同盟なんて木戸が小松の所に乗り込んで認めさせただけのこと。

750:無名草子さん
23/04/24 09:25:23.10 .net
>>745
慶喜が大阪から逃げた時点で、江戸開城するしか方法はなかったのでは?
どのような方法で降伏するかが問題なだけで。

751:無名草子さん
23/04/24 11:28:51.18 .net
>>738
「尊皇攘夷」っていうのは結局薩長が国家転覆のためのテロを正当化するためのロジックだから、言葉の意味よりその言葉を経由することで何が可能になり、何が不可能になったのかという話だと思う
尊皇攘夷という言葉があるから、江戸幕府を倒すことがここで正当化される
やっぱり徳川家は天皇家ではないから
結局、良くも悪くも最後は天皇家に行き着く
明治維新以後の日本は天皇の側にいるか、朝敵かが価値の全ての世界になった
だから日本の思想は水戸学>>>>>>>>>>>西洋哲学となる

752:無名草子さん
23/04/24 11:45:02.86 .net
ガチガチの佐幕派だった孝明天皇が都合よく死んでくれなかったら
薩長が勝てたかどうか結構怪しいよな

753:無名草子さん
23/04/24 17:15:33.46 .net
>>749
お前はNHKの推論を前提にした推論に影響受けた馬鹿

754:無名草子さん
23/04/25 08:12:56.28 .net
>>750
そんなに話は単純なものではないのでは?

755:無名草子さん
23/04/25 08:26:11.98 .net
高杉なんて愛人すら大切にされてるからな。
おうのの見舞いに木戸がいって、おうのが長崎についていったとか
残ってる。

坂本の嫁は?
まあその程度の人物だったわけよ。

756:無名草子さん
23/04/25 08:29:37.69 .net
>>751
例えば大塩平八郎の乱なんて完全にテロなんだが
授業でもけして悪一色と扱わないのは、天保の飢饉で甲斐や佐渡みたいな天領ですら一揆が起こったからなんだよな
要するに水野忠邦の時点で江戸幕府は末期も末期
桜田門外の変で(これもテロ)で事実上終了
部下を置いて慶喜が鳥羽・伏見で逃げたのはもはやダメ押し

757:無名草子さん
23/04/25 09:33:59.68 .net
>>755
かなり短絡的な見方ではあるな

758:無名草子さん
23/04/25 14:41:19.30 .net
司馬遼太郎は小田実のことを「昭和の坂本龍馬」と称えていたから、司馬の中での坂本龍馬の評価は、小田実のような感じと考えて良いんじゃない?

759:無名草子さん
23/04/25 14:47:48.63 .net
URLリンク(ousar.lib.okayama-u.ac.jp)
この論文なんか短いけど「竜馬がゆく」の論としては面白いと思う

760:無名草子さん
23/04/25 15:08:43.53 .net
>>758
小田のようだと言われても難しいな

761:無名草子さん
23/04/25 17:45:44.14 .net
>>755
伊藤博文と井上馨が高杉の名誉のため、おうのが身持ちを崩さないよう無理矢理髪を切って墓守にさせたという説もある。

明治8年(1875年)8月、梅処は上京して井上馨を訪ね、なかなか生活が立ち行かない事を相談した。
井上は木戸孝允・山田顕義・山縣有朋・河瀬真孝・宍戸?ら長州の同志に募り、月々の手当を受け取れるように取り計らった。


大切にしてた動機は圧力と金の可能性もあるなw

762:無名草子さん
23/04/25 18:49:31.44 .net
>>759
読ませてもらった。この研究者のことは何も知らないが結論が強引でそこに持っていくための論理の組み立てが荒いと思った

763:無名草子さん
23/04/25 18:54:03.22 .net
>>761
おりょうも生活が立ちいかなくなって色々な人を頼って行っているがうまくいかなかったのは彼女の勝ち気な性格もあったのかな。一度横須賀へ行って山口百恵の『横須賀ストーリー』に歌われた急な坂とおりょうのお墓参りがしたい

764:無名草子さん
23/04/25 20:19:45.96 .net
>>755
龍馬の千葉さな子も大切にされてるやん

765:無名草子さん
23/04/25 20:33:49.77 .net
>>762
博士課程の学生さんの論文だからあまり厳しいことは言わないであげて

766:無名草子さん
23/04/26 06:16:33.27 .net
>>765
確かに岡山大学大学院と書いてはあるけれど修士論文くらいかと思っていた。比較するのも何だし大幅に加筆修正もしてはいるだろうけど千葉雅也の『動きすぎではいけない』とか鈴木由美の『中先代の乱』あたりも博士論文がベースであることを考えるとかなりレベルの差がある

767:無名草子さん
23/04/27 10:04:34.40 .net
とある本に1969年の作家長者番付が載っていた
海音寺や山岡荘八もめちゃくちゃ売れてたんだな

1 7786万円 梶山季之
2 6513万円 松本清張
3 6045万円 佐賀潜
4 5537万円 司馬遼󠄁太郎
5 4630万円 吉田健一
6 4305万円 海音寺潮五郎
7 4255万円 山岡荘八
8 4135万円 川端康成
9 4055万円 柴田錬三郎
10 4050万円 源氏鶏太

768:無名草子さん
23/04/27 21:58:14.50 .net
現在の価値で換算すると数億円か

769:無名草子さん
23/04/28 20:23:22.84 .net
>>767
納税額だよな?

770:無名草子さん
23/04/29 02:20:48.81 .net
初任給3万円の時代に月100万円の原稿料を渡したのが当時の産経新聞社長の水野成夫だった
今の金だと月700万円にあたる
神田の高山古書店に頼んで、三千冊、1トン分の資料を取り寄せたがその金額が当時で一千万円というから桁外れである。
これが可能になったのは、社長の太っ腹で原稿料が月百万円だったという。吉川英治並みの金額である。
司馬さんは当時、大阪市西区の高層の公団住宅に住んでいた。
この土地は土佐藩の蔵屋敷があったところで近くに土佐稲荷神社がある。司馬さんは土佐とも縁があったのである。
URLリンク(wakokujyoou.cocolog-nifty.com)

771:無名草子さん
23/04/29 02:25:02.03 .net
司馬遼太郎は質と量を兼ね揃えた作家でもあった
『竜馬がゆく』は昭和37年6月から41年5月まで4年間、産経新聞に連載された。
この期間に、並行して発表された作品群がまたすごい。
『燃えよ剣』昭和37年11月~39年3月(週刊文春)
『新選組血風禄』昭和37年5月~38年12月(小説中央公論)
『尻啖え孫一』昭和38年7月~39年7月(週刊読売)
『国盗り物語』昭和38年8月~41年6月(サンデー毎日)
『功名が辻』昭和38年10月~40年1月(各地方紙)
『関ケ原』昭和39年7月~41年8月(週刊サンケイ)
『北斗の人』昭和40年1月~40年10月(週刊現代)
『新史太閤記』昭和41年2月~43年3月(小説新潮)
『義経』昭和41年2月~43年4月(オール読物)
以上は長編だけである。
他にも短編もたくさん執筆している。
URLリンク(wakokujyoou.cocolog-nifty.com)

772:無名草子さん
23/04/29 02:30:03.38 .net
つまり今のお金でいうと司馬遼太郎の年収は約4億
東野圭吾でも敵わないほどの売れっ子作家だろう
グッズやゲームやdvdなどの収入がある漫画家の尾田栄一郎か鳥山明でやっと追い付くほどの超売れっ子作家だった
当時の小説家は夢があるね

773:無名草子さん
23/04/29 02:55:39.02 .net
拙著を皆が支持してくれて金ができたおかげでやっと蔵書に耐えられる家を建てることができるぜ
から始まる大阪の軟弱地盤の話好き

774:無名草子さん
23/04/29 09:41:08.62 .net
記念館の蔵書を実際に見たときはちょっと震えたな
一人の人間の所業とは到底信じられない量だったわ

775:無名草子さん
23/04/29 11:05:32.98 .net
>>773
司馬の蔵書の重みに耐えられないから
沼地に巨大なコンクリを浮かせる工法のやつか
よくあんな事できたなって思ったな

776:無名草子さん
23/04/29 11:13:23.35 .net
記念館に足を運んでみると高級住宅街でも何でもない
本当にただの下町の住宅街に住んでたんだなというのが分かる

777:無名草子さん
23/04/29 11:51:19.78 .net
>>767
梶山季之ももう少し長生きしてたら絶対知名度や評価 今より上がってたな
夢の超特急が有名だけど45歳の人生で600作品かな?
司馬遼も多筆だが、梶山には敵わなかったな

778:無名草子さん
23/04/29 11:55:23.55 .net
>>771
文藝春秋社がせっかく「燃えよ剣」が文春に連載されてたのに
書籍は新潮に取られたから慌てて文春文庫を作った話も大好きw
当時は日産トヨタみたいなもので確実に新潮>>>>>>>>>文春の序列だったからな

779:無名草子さん
23/04/29 11:57:45.01 .net
今ならセキュリティがバシっと決まった高級住宅街の邸宅か高層マンションにでも住んでたろうな
作者の住所が全部本に乗ってたおおらかな時代

780:無名草子さん
23/04/29 14:12:06.90 .net
司馬はこれだけ多作なのに目立った駄作が一つもないことに驚く

781:無名草子さん
23/04/29 19:08:19.84 .net
コメントが難しいわ

782:無名草子さん
23/04/30 10:06:31.05 .net
【三人閑談】
司馬遼太郎生誕100年
URLリンク(www.mita-hyoron.keio.ac.jp)
福間良明
大石裕
片山杜秀

783:無名草子さん
23/04/30 10:08:11.72 .net
>>774
持ち主が90年代前半で亡くなったから、蔵書の内容がその時点で
止まっているのが物足りなかった。
 ただ、昔持っていた本がいくつか見つけた。

784:無名草子さん
23/05/02 10:32:14.97 .net
>>777
友人だった野坂昭如によれば梶山季之は本来は純文学志望で生活のために妥協して大衆小説を書いていて文学者としては不遇な人生だったみたい

785:無名草子さん
23/05/02 20:42:55.68 .net
>>784
官能作家御三家も元は純文学志向。芥川賞を取ったのは宇能鴻一郎だけだが

786:無名草子さん
23/05/03 07:15:44.33 .net
松本清張は芥川賞受賞の純文学からスタートなんだが推理小説や大衆小説に転向したな
司馬遼太郎はそういう葛藤とは無縁というか

司馬は俺は伝奇ロマンを書いたものは苦手だな
「ペルシャの幻術師」「風神の門」「果心居士の幻術」などは読むときつい

787:無名草子さん
23/05/03 08:25:46.64 .net
昔の純文学崇拝はなんだったんだろうな。
吉川英治のほうが難解な言葉が頻出してるし、教養がついていいよ。

788:無名草子さん
23/05/03 11:32:38.43 .net
ただの権威主義だよ
でもそうやって教養なんかを有難がってる時点で、
純文学崇拝的な権威主義とやってることは何も変わらないけどな

789:無名草子さん
23/05/03 13:14:56.97 .net
>>786
松本清張は芥川賞取った後も当時在籍していた朝日新聞で冷や飯食わされていたから転向した
(高卒で地方支社出身だから、らしい)

司馬は産経新聞でどういう扱いだったかは知らない

790:無名草子さん
23/05/03 16:15:44.38 .net
>>788
有難がるのはおかしいが、教養は無いよりあったがいいに決まったいる

791:無名草子さん
23/05/03 23:49:25.93 .net
事件事故系の記者やった後で宗教関係の記事任されて坊主関係に色眼鏡がかかったんだったっけな、司馬

792:無名草子さん
23/05/04 07:44:10.04 .net
>>788
吉川英治はエッセイを読むとわかるが求道的というか倫理性の高いものが
多い。逆境の時読むと励まされる。
あと吉川を読むと江戸時代以前の本も読みやすくなる。
古典を読む橋渡しになる内容なのがいい。

793:無名草子さん
23/05/04 11:18:13.31 .net
司馬遼太郎の新撰組ものだと近藤勇は馬鹿に書かれていて……まあ本当に馬鹿だったんだろうけど
短期間とはいえ魑魅魍魎の集合体である新撰組を率いてそのトップだったのだからカリスマ性みたいなものはあったんじゃないのか
土方歳三の統率能力以外にも
だいたい土方歳三が近藤勇に殉じた形になったのは道場の先生だからや忠節や友情よりもある種の魅力に心酔していたからのような気がするが

794:無名草子さん
23/05/04 12:55:52.49 .net
伊東や芹沢が処分されたのは(創設者の清河八郎も)朝廷に接近したからという説もある

795:無名草子さん
23/05/04 16:12:00.26 .net
直轄領の農民だともうバリバリの佐幕派だから、
水戸藩の芹沢とは合わないよね。

796:無名草子さん
23/05/04 19:31:41.10 .net
まあ実際司馬以前の新選組ものって近藤が主役だし

797:無名草子さん
23/05/05 15:22:28.80 .net
歴史上、作品上ではどうでも良いような謂わば端役みたいな人物の生死まで改変してたりするのは何でなのかな?
それによって話を盛り上げたりしてる訳でもないのに。
関ヶ原だったと思うけど、「この後、長生きした」って書いてあったが、何となく調べてみたら関ヶ原の時に戦死してたみたいな。

798:無名草子さん
23/05/05 16:15:56.49 .net
司馬が執筆してた当時の史料から改変してたとしたら悪質だな

799:無名草子さん
23/05/05 17:04:21.04 .net
読んだ本や資料とその記憶に頼って書いてた頃だから間違いはあるある
今読んでる街道の宇和島の回も和霊騒動でミスあるし

800:無名草子さん
23/05/05 17:43:45.06 .net
>>798
意味不明

801:無名草子さん
23/05/05 17:49:55.25 .net
>>797
誰の事?

802:無名草子さん
23/05/06 09:27:30.74 .net
井伊直政?

803:無名草子さん
23/05/06 10:39:29.57 .net
最初からフィクションだよ出鱈目だよと割りきって読めば問題は無いんだろうけど
『新撰組血風録』の「池田屋異聞」の山崎丞が奥野将監の子孫で新撰組の池田屋討ち入りの浪士に大高源吾の子孫がいて…とか話としては面白いんだけどもっともらしく書いてあるから……
まあそれを言い出したら「沖田総司の恋」なんて初恋相手の医師の娘なんていないわけで重箱の隅なんだけれど
ひとつ文句があるなら小説が別になるからこれも仕方なく当然は承知の野暮なんだけど『燃えよ剣』では沖田総司は山南敬助と仲が良いのに『新撰組血風録』の「虎徹」では「沖田は、この山南敬助の仔細ぶった利口づらがどうも好きではない」で不仲ってのは沖田総司の人間関係が同一作者で異なるのは少しゴニョゴニョ……

804:無名草子さん
23/05/06 13:02:37.82 .net
井上靖の風林火山を読んでるんだけど創作だらけでも全然気にならない
やっぱり司馬は歴史を語ってる風の書き方が良くない

805:無名草子さん
23/05/06 14:14:19.84 .net
いつものアンチの個人的な感想は
まさにノイジーマイノリティー

806:無名草子さん
23/05/06 15:24:33.37 .net
なんだろうな
新田次郎の武田信玄なんて創作バッキバキだけど史実と違うと指摘された部分には
作者が反論したり謝罪したりしてたし、司馬も謝りはしないが反論はしてたよね
歴史小説なんだから最初からスルーすりゃいいのに良くわからんスタンス

807:無名草子さん
23/05/06 16:08:50.19 .net
肯綮に中らない指摘だからだろう

808:無名草子さん
23/05/06 16:21:02.73 .net
北方謙三くらいまで行けば誰も相手にしなくなる

809:無名草子さん
23/05/06 17:38:57.86 .net
桐野のあれは作中でわざわざ作者が煽ってるみたいなもんだからしゃーないな
しかも作者が間違ってるし

810:無名草子さん
23/05/06 17:43:26.34 .net
>>804
同意。司馬はしたり顔で説教くさいから気になる

811:無名草子さん
23/05/06 17:49:30.76 .net
無学文盲はともかくとして西郷と大久保の家が隣じゃないのとか
桐野が郷士じゃないのとか当時でもちょっと調べたらわかりそうなもんだが

812:無名草子さん
23/05/06 17:53:17.82 .net
歴史小説に対して史実と違うって意見する方も反論する方もよく考えたらおかしいよな

813:無名草子さん
23/05/06 18:19:33.99 .net
>>811
西郷と大久保の自宅の距離は「向こう三軒両隣」くらいだから隣といえば隣だろう

814:無名草子さん
23/05/06 18:53:54.91 .net
郷士の分類の一つ
[元は一般藩士であったが城下で家禄のみによって生計を維持できず、城下郊外または農村で農業を営むために郷士身分へ下った者。
]
桐野家は10歳の時に家禄五石を召し上げられて23,4まで農作業で生計を立ててたから郷士じゃないのか?

815:無名草子さん
23/05/06 22:29:09.74 .net
桐野作人が前にTwitterで、その父親が家禄を召し上げられた
ってのが(資料で確認できないので)聞いたこと無い、風な事を事書いてたなそういや

しかし、前からこの件については思ってる事があるんだけど、
桐野が郷士かそれ以下の身分じゃなきゃ、翔ぶが如くであった、
桐野が郷士ゆえに差別をされて何度も川の上から投げ落とされて、
それを高城家の当主が助けてそれ以降親交ができ、
桐野がよく高城家の当主が好んだ鶏を下げて遊びにやってきた、
っていうところがまるっきり創作が嘘って事になるんだけど、
そんな気配ないよねぇ?

816:無名草子さん
23/05/07 00:56:59.29 .net
桐野利秋の父親が家禄没収てのは検索で色々出て来るけど
家禄を召し上げられてないって書いてある奴は見当たらないな

817:無名草子さん
23/05/07 01:14:54.14 .net
上の桐野作人のツイートならこの流れだな
URLリンク(twitter.com)
桐野は郷士ではない、の流れからフォロワーが>>814と同じく、親父がしくじったから
郷士に落ちたんじゃないの?と聞いたが先祖がなんかやらかして5石に落ちたのは
あるけど(利秋の)父親の代で郷士に落ちたなんてのは聞いた事ない、という
双方のソースは提示されてないのでアレだが、桐野のその後の経歴見る限り
郷士には落ちなかったと考える方がどっちかといえば自然かね?よーわからんけど

でもそうなるとやっぱり上で書いた高城家云々の話が「?」になってくるんだよなぁ・・・
子孫に話聞いてるから司馬の創作じゃないのは確かだろうけど
(deleted an unsolicited ad)

818:無名草子さん
23/05/07 01:16:39.02 .net
ってことで家禄を召し上げられたことはない云々は俺の記憶違いだったすまん

819:無名草子さん
23/05/07 02:03:12.05 .net
池波正太郎 人斬り半次郎(幕末編) 

昭和三十七年九月─、私は四年ぶりに九州・鹿児島をおとずれた。
(略)
鹿児島市中を北に一里ほど離れた吉野村・実方のあたりへやってくると、
あたりの風物に、いささかの変化も見られない。
(略)
このあたりは、鹿児島市を背後から抱きすくめたかたちの吉野原高地の入り口にあたる。
(略)
橋をわたりきると、右手に小さな谷間が見える。谷間は耕地になっており、
この谷間の北面を上がりきったところに、中村半次郎の生家があった。
(略)
この生家があった敷地は、いかにもせまく、薩摩藩士中でも[唐芋侍]と
いやしめられた貧乏郷士の貧しい家のありさまが、目に浮かぶようである。

820:無名草子さん
23/05/07 02:25:29.41 .net
>>817
Twitter見て見たけど、
桐野作人って在野の研究家は薩摩の御小姓与の家格が何か凄いものだと錯覚してないか?
薩摩藩の家臣団の家格は10の家格に分かれてたそうだが、【御小姓与】って約3000家もあって
下から2番目で外城士(郷士)と同格らしいんだがね。

821:無名草子さん
23/05/07 02:56:55.02 .net
>>820
つーか思うんだけど家禄5石の時点で身分自体は外城士じゃなくても流罪になってなくても
半農どころか全農に近い暮らしぶりだったと思うんだけどどーなんだろうか
司馬が桐野のような性格の激しい人物でも郷士ゆえに差別に耐えた、の部分
郷士じゃなくてもほとんど郷士レベルだった上に親父が処分されて馬鹿にされて虐められてた、
と解釈しても不思議じゃないレべルな気がする

822:無名草子さん
23/05/07 23:43:58.56 .net
五石って十俵から十二俵半かよ
よく言われる三十俵二人扶持の三分の一くらいじゃねえか

823:無名草子さん
23/05/08 18:24:19.38 .net
薩摩藩は石高に比べて武士が多いから平均的に一人あたりの禄が少ないんじゃなかったかな

824:無名草子さん
23/05/16 09:11:44.89 .net
>>767
納税額だよな?
現在の貨幣価値でいうとどのくらいだろうか

825:無名草子さん
23/05/16 09:13:29.53 .net
>>770
当時南海にいた野村克也もそこに住んでたんだよな
共に鬼籍に入ってるんだよな

826:無名草子さん
23/05/16 09:15:40.97 .net
>>776
小阪は東大阪市の中では石切に次ぐいい場所だがな
しかも平地で


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