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その空間に生まれたのは、知識や教養や国際性ではなく。
教養という「権威」だけが逆立ちして歩いていた
まさに「教養」とは正反対の俗物的自己満足の残骸が
場所をとって邪魔な姿をさらしていたのだ
子供にこれをプレゼントして自己満する父親も多かったが
たいていは体面がすべてな権威主義的な虐待家庭といってよい。
その空疎な権威は、実は三郎のまとう非人間的な権威そのもの―
三郎が娘に押しつけたのも、悦子が三郎のステイタス・アクセサリーに
過ぎないことの烙印でもあり、ある種の呪具―
だからこそ悦子は、それを捨てねばならなかった