【2019】盗作屋・唐沢俊一282【卒塔婆5】at BOOKS【2019】盗作屋・唐沢俊一282【卒塔婆5】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト53:無名草子さん 19/03/22 17:40:54.98 .net 特定の極端な人を取り上げて「こんな意見が沸き上がっている」と 世間に広まっているかのように騒ぐのは、唐沢俊一の、と学会のやり方 トンデモさんをウォッチしていたハズが、トンデモさんを期待するようになり いつしかトンデモ眼鏡でモノを見るようになっていった感じだね。 54:無名草子さん 19/03/23 01:00:06.21 .net カラサワさんが原田 実をリツイートしました >北大路魯山人が天然記念物認定される直前に捕まえたオオサンショウウオを食う会をやったことを書いている。 >古式に則って、頭を棍棒で叩いて殺してからさばいたが、家の中が山椒の香りに満ちたとか。食感は文章から察するに、 >コンドロイチンのかたまりといったテイらしい。 オオサンショウウオが「種として」天然記念物に指定されたのは1950年代初頭。 (但し、1927年から1933年にかけ、幾つかの地域が「オオサンショウウオ生息地」として天然記念物指定されている) 魯山人が山椒魚について書いているのは『山椒魚』というエッセイ(青空文庫で全文読める)。 彼は三度山椒魚を三度食べているが、最初に調理したのは関東大震災前のこと。 最後は松江の知人宅にて、エッセイ執筆の前年で、天然記念物に指定後のことだから、密漁品だろうか? (その時は、居合わせたすし屋久兵衛に調理を任せている) 唐沢の言う「オオサンショウウオを食う会」とは、二度目のことを指すと思われる。 エッセイに時期についての記述はないものの、招待客の中に伊谷以知二郎が居たことは書かれている。 伊谷以知二郎は1937年3月に亡くなっているので、戦前のことと断定できる。 招待客に関しては「美術学校の正木直彦氏」の名も記されているが、そこから少なくとも正木が東京美術学校校長を退任する 1932年以前のことと推察できる。 「天然記念物認定される直前に捕まえた」とは、どこから出てきた情報か? 生息地の天然記念物指定のことを言っているわけでもあるまいと思うが。 ちなみに、魯山人は中国の『蜀志』に「山椒魚は木に縛りつけ、棒で叩いて料理する」と書かれていると(伝聞に基づき) 記しているが、実際は『蜀志』の中に山椒魚に関する記述など存在しないらしい。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch