18/07/17 20:35:01.06 .net
>>350
金菱さま
>講談社の「その類似は作品の根幹にかかわるものではなく」、
>言い方を変えれば、類似程度は文学的価値に比べれば、些末な問題であるとも聞こえてくる。
>根幹ではない私たちの軽い震災記録とは一体何かを考えざるをえな
>今回多くを発言している人もまた、問題が収束すれば、震災とは切り離された処で>無関心を装ったまま日常に安住することになるだろう。(金菱さん)
私は北条氏、講談社、群像を批判する立場です。
しかし、「今回多くを発言している人もまた、問題が収束すれば、云々」
これはここ5チャンネルで多くを発言している私に突きつけられた言葉のように思えました。
でもそれは私が密かに噛みしめるべき問題です。
何故なら北条氏や講談社や新潮社とは違って私たちは、本の出版により利潤を得る枠組みから自由な存在であるからこそ、
物申し自由な立場で金菱氏を慮るカキコミを繰り返してきたのです
講談社へ返す刀のとばっちりを私たちが受けるとは心外です。
外野にも様々あるとしても金菱氏が私たち外野を十把一絡げに非難する権利はありません。
>7年経って今の被災者はその多くが口を閉ざして固く沈黙してしまっている。
>7年経ち、逆に7年前の記憶で止まったままの多くの読者にとって本作品が「疑似的」に新鮮にうつるのだろう。(金菱さん)
この表現には違和感を覚えました。新鮮だという肯定する立場への批判の気持ちに
一定の理解を示したように思えます。
次の文脈で読者の意識への修正を促そうとしているにしてもこの文章を否定する言葉が続かないと
読者に勘違いを与えかねません。
つづく