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▽斎藤新九郎利政
この小説では、大永7年(1527年)8月の川手城乗っ取りの後に、斎藤新九郎利政を名乗ったとあるが、若干史実を変えてある。
この時点では、まだ西村勘九郎「正利」のままである。
天文2年(1533年)に長井長弘を不行跡のかどで殺害したときに〔>>776〕、長井新九郎「規秀」を名乗った。
…斎藤道三親子二代説は、この規秀が長井新左衛門尉(奈良屋庄九郎)の子であるとするのである。
天文7年(1538年)に美濃守護代の斎藤利良〔>>677〕が病死すると、その名跡を継いでやっと斎藤新九郎「利政」と名乗った。