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▽武田信虎
天文5年(1536年)11月に武田信虎は信濃佐久郡に出陣しており、これが嫡男晴信の初陣となる。
天文10年(1541年)5月25日には武田・村上・諏訪三氏と共同で信濃佐久郡への遠征を行っている。
この遠征に信虎は晴信とともに出陣し、小県郡(長野県東御市)で起きた海野平の戦いで駆逐された海野棟綱が上野へ亡命して関東管領・上杉憲政を頼ると、憲政は佐久郡へ出兵した。
信虎は同盟国である山内上杉氏と衝突することを避け撤兵し、6月4日に晴信とともに甲斐へ帰国する。
帰国した信虎は6月14日に今川義元訪問のため駿州往還を駿河へ向かうが、この最中に晴信が甲駿国境に足軽を派遣して路地を封鎖し、信虎を国外追放する事件が発生する。