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▽西沢なぽり〔>>619〕
日本共産党の書記長だった徳田球一の孫、西沢なぽりが中国の山西省で、渋柿のかきしぶを事業化するため奮闘している。
父・西沢隆二は、徳田球一の女婿。
西沢なぽりは父の勧めで14歳の時に北京へ留学したが翌年文化大革命が始まると紅衛兵の学生組織に入り「奪権闘争」をした。
「紅衛兵同士の内ゲバも多く、護身用にワルサー拳銃で武装していた」という。当時のなぽりは純粋に毛沢東を信じていたというが、
内乱状態になった中国では誰が「革命派」なのか「走資派」なのかわからなくなり政治不信に陥ったようだ。