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▽英彦山(ひこさん)
もとは「彦山」との表記であったが、1729年(享保14年)、霊元法皇の院宣により「英」の字をつけた。
英彦山は羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、
山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残る。山伏の修験道場として古くから武芸の鍛錬に力を入れ、
最盛期には数千名の僧兵を擁し、大名に匹敵する兵力を保持していたという。
この山を根拠とする豊前佐々木氏が領主であり、一族からは英彦山幸有僧という役職も出していたとの記録がある。
英彦山はその後、秋月種実と軍事同盟を結んだため、天正9年(1581年)10月、
敵対する大友義統の軍勢による焼き討ちを受け、1ヶ月あまり続いた戦闘によって多くの坊舎が焼け落ち、
多数の死者を出して大きく勢力を失った。
大友氏の衰退後は、新領主として豊前に入った細川忠興が強力な領国経営を推し進めたため、
佐々木氏とともにさらにその勢力は衰退した。
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